【 第二条 】
 仏教をよりどころとして

真心をこめて「三宝」を敬いなさい。

三宝とは「仏(真実の体現者)」「法(真実の教え)」「僧(真実を求める人々)」のことをいいます。三宝こそが、生きとし生けるすべてのものにとっての最後のよりどころであり、あらゆる国々の人々が共感をもって了解し得る、究極の規範です。

どんな時代のどんな人も、仏法を学び、社会生活の中でそれを理解し、心から頷くことができるならば、その尊さと重要性を認めずにはいられないはずです。

人間の中に、罪悪感を一切感じないような人は、そういるものではありません。仏教に説かれる「真実」を自らの心に会得するならば、どんなひとでもかならず自然の道理に従って、よりよい人生を生き直せるはずです。

浄土真宗にとっての三宝とは「南無阿弥陀仏」と「称名念仏の教え」と「お念仏の仲間」です。これら三つの宝をよりどころとして、世間の苦楽を共に乗り越えて生きましょう。

 

太子が目指された「和の国」の建設は、日本という島国の範囲内に限って想定されたものではありません。ましてや特定の個人や組織のために制定されたものでもありません。

世界がすべて、調和的で平和であるようにと、太子は心から願われているのだと思います。

浄土真宗の教えは〈南無阿弥陀仏〉を称える人々のあいだに、和の心をもたらすものです。これこそが太子の理想にかなうものと、信じています。

 

 

【 十七条憲法・第二条 】

[原文]
二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。

[書き下し文]
二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。 すなわち四生(しょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪(あ)しきもの少なし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

[現代語訳]
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。

[英語訳]
2. Sincerely revere the Three Treasures – Buddha, the Law and the Priesthood, the final refuge of all kinds of generated beings, the supreme objects of faith in all countries. What man in what age can fail to revere this Law? Few men are utterly bad. They may be taught to follow it. But if they do not take to the Three Treasures, how shall their crooked-ness be made straight?

出典:中村元 著『 聖徳太子 地球志向的視点から 』(東京書籍)THE SEVENTEEN-ARTICLE CONSTITUTION by Prince Shoutoku Translated into English by Hajime Nakamura

 

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大乗在家仏道六徳目

 

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