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はじめに -聖徳太子と親鸞聖人-
浄土真宗寺院の本堂内陣の中央には必ず、阿弥陀如来の木製仏像か絵像軸、もしくは「南無阿弥陀仏」と書かれた六字の名号軸が安置してあります。そしてその左右には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人と、中興の祖といわれる本願寺八代門主・蓮如上人の像が祀られます。またその脇には、インド・中国・日本を代表する七名の高僧方が描かれた掛軸と、それに併せて「聖徳太子」の掛軸を祀ることが、真宗寺院の伝統となっています
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① なぜ智義信礼仁徳の順なのか?
学校や会社やサークルや町内会や自治体などといった「共同体」が、大小を問わず、私たちの社会にあります。人は一人で生きていけるものではないので、どうしても何らかの人々の集まりに属しながら、生きているものです。大きな単位では「国家」があるでしょうし、身近なものとしての「家族」も一つの共同体といえるでしょうか。どのような単位の共同体であっても、それが複数の人の寄り集まりである限り、世話役となってその運
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⑦ 仁の世界観・徳の宇宙観
◉智義信礼仁の関係性ここまで、冠位十二階の階位にならって、下位の徳目より順に〈智〉〈義〉〈信〉〈礼〉〈仁〉の章立てをして、十七条憲法を考察してきました。最初の〈智〉の章では、公人としてまず認識しておくべきことが、十七条を読み解く手がかりとして述べられていました。次の〈義〉の章では、公人としての基本的な注意事項が述べられ、つづく〈信〉の章では、そこでの心のあり方について述べられました。また〈礼〉の
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⑨ 十二階と十七条と合議制について
これまでにも紹介してきた、古代史研究者・鈴木明子氏による論文「推古朝の合議-大夫合議制の変質と冠位十二階・十七条憲法」(出典『聖徳太子像の再構築(奈良女子大学けいはんな講座)』)によると、推古期には「大夫(マヘツキミ)」と呼ばれる、朝廷内で合議体を形成する政治的地位が存在したといわれます。大夫は、冠位十二階を授与された官人のなかでも要職にあたる人々が就いた地位であったと考えられ、鈴木氏の論
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[補稿]「陰陽輪環の順読」について
日本に現存する最古の正史『日本書紀』の「巻二十二推古天皇十二年条」には、皇太子、親(みづか)ら肇(はじめ)て憲法十七条を作りたまふと記述されています。ここにある「皇太子」とは、私たちが「聖徳太子」として知る人物です。そしてまた、書紀には十七条憲法が「公布」されたという記述が見られないことからも、この施策が推古天皇や蘇我馬子からの要請によるものではなく、太子の自発的な念いから述作されたもので
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十 七 条 心 得 (十七条憲法 原文 等)
【 第一条 】 和を宗とする人の集まりおたがいの心が和らいで協力しあうことが貴いのであって、むやみに対立したり争ったりしないようにしましょう。それを根本的な理念としなければいけません。ところが人にはそれぞれ自己中心的な執着心があるので、自分の立場に固執して物事を見たり、自分の都合で敵味方の区別を分けたりして、大局を見通している人は多くありません。それだから、身近な人間関係から、問題が起こりがちなの