十七条の心を読み解く

十七条の心を読み解く

聖徳太子の十七条憲法を
大乗在家仏教の手引きとして
解釈し直そうとする試みです

  • はじめに -聖徳太子と親鸞聖人-

     浄土真宗寺院の本堂内陣の中央には必ず、阿弥陀如来の木製仏像か絵像軸、もしくは「南無阿弥陀仏」と書かれた六字の名号軸が安置してあります。そしてその左右には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人と、中興の祖といわれる本願寺八代門主・蓮如上人の像が祀られます。またその脇には、インド・中国・日本を代表する七名の高僧方が描かれた掛軸と、それに併せて「聖徳太子」の掛軸を祀ることが、真宗寺院の伝統となっています

  • 私の中の聖徳太子

    浄土真宗の教えを開かれた親鸞聖人は、有名な歴史的宗教家の中ではかなりの例外で、自身の個人的な事柄についてほとんど書き遺すことのなかった方でした。様々な研究がなされている歴史的重要人物でありながらも、その生涯には未だ謎が多く、その実像は確かなものではないようです。民間に伝わる伝説的な親鸞聖人といえば、宗教的聖者としての誇張が大きく、あまりにも空想的でリアリティーが感じられないものが多いようです。本

  • ① なぜ智義信礼仁徳の順なのか?

     学校や会社やサークルや町内会や自治体などといった「共同体」が、大小を問わず、私たちの社会にあります。人は一人で生きていけるものではないので、どうしても何らかの人々の集まりに属しながら、生きているものです。大きな単位では「国家」があるでしょうし、身近なものとしての「家族」も一つの共同体といえるでしょうか。どのような単位の共同体であっても、それが複数の人の寄り集まりである限り、世話役となってその運

  • ②〈智〉の章

     冠位十二階は、推古朝前代の氏姓制度と異なり、氏ではなく個人に対して与えられるということが特徴で、冠位は一代かぎりで世襲されることがなかったといわれます。これによって、世間的には生まれが賤しいとされる者を、生まれの良いとされる者の上位に立たせて採用することも、場合によっては可能となったといわれます。そしてまた、旧来の豪族に対して、公共に尽くす「官人」としての意識を持たせる上でも、大きな役割を

  • ③〈義〉の章

     儒教の始まりとして孔子が〈仁〉の徳を説き、後に孟子がその要素を二つに分けて〈仁〉と〈義〉の徳を説いたと言われています。〈仁〉の徳を身に付けるために為すべきこととして、具体性のあることとして〈義〉の徳目が示されたということです。〈義〉とは「規範意識」や「人としての正しい道」とも言い換えられるように、心中に兆した利己心を、自ら克服しようとする意志のことをいうようです。十七条憲法が、朝廷に勤務す

  • ④〈信〉の章

     第一の〈智〉の章の前段では、〈信〉は〈義〉の根本である。何ごとを為すにあたっても〈信〉をもって為すべきである。と示されました。そして、続く第二の〈義〉の章では、官人としての「為すべきこと」が三つの条文に示されました。これらを併せて考えてみると、官人として為すべき「義務」があるとしても、その根本にはやはり「信頼」がないといけない。何事を成すにおいても「誠実さ」が大事であることが示されているよ

  • ⑤〈礼〉の章

     『日本大百科全書』の「儒教」の解説には、〈礼〉の徳目について、「礼」とは本来は礼儀作法の形式であって、社会的な秩序を維持し、また対人関係を円滑にするための規範慣習である。したがって、礼の形式を学ぶことは、儒家にとってたいせつな教科であるが、一方内面的には礼を当然のこととして実行する、謙虚な心情を養うことが必要とされた。と記されています。〈礼〉の徳目には、外的にあらわれる「作法」の意味と、内

  • ⑥〈仁〉の章

     『礼記』には「仁は人なり」とあり、『孟子(尽心章句下)』には「仁ということばの意味は人、つまり人間であれ、ということである」と記されているように、儒教における〈仁〉の意味は「人として人を愛すること」であると捉えられます。これに説明的な意味を付け加えるなら「利己的な欲望を抑えて礼儀を重んじ、万人に対して慈しみをもって愛すること」とも言えます。それはまた「人と人との間に生じる相互の思い遣り」と

  • ⑦ 仁の世界観・徳の宇宙観

    ◉智義信礼仁の関係性ここまで、冠位十二階の階位にならって、下位の徳目より順に〈智〉〈義〉〈信〉〈礼〉〈仁〉の章立てをして、十七条憲法を考察してきました。最初の〈智〉の章では、公人としてまず認識しておくべきことが、十七条を読み解く手がかりとして述べられていました。次の〈義〉の章では、公人としての基本的な注意事項が述べられ、つづく〈信〉の章では、そこでの心のあり方について述べられました。また〈礼〉の

  • ⑧〈徳〉の章

     【第二条】まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何

  • ⑨ 十二階と十七条と合議制について

     これまでにも紹介してきた、古代史研究者・鈴木明子氏による論文「推古朝の合議-大夫合議制の変質と冠位十二階・十七条憲法」(出典『聖徳太子像の再構築(奈良女子大学けいはんな講座)』)によると、推古期には「大夫(マヘツキミ)」と呼ばれる、朝廷内で合議体を形成する政治的地位が存在したといわれます。大夫は、冠位十二階を授与された官人のなかでも要職にあたる人々が就いた地位であったと考えられ、鈴木氏の論

  • [補稿]「陰陽輪環の順読」について

     日本に現存する最古の正史『日本書紀』の「巻二十二推古天皇十二年条」には、皇太子、親(みづか)ら肇(はじめ)て憲法十七条を作りたまふと記述されています。ここにある「皇太子」とは、私たちが「聖徳太子」として知る人物です。そしてまた、書紀には十七条憲法が「公布」されたという記述が見られないことからも、この施策が推古天皇や蘇我馬子からの要請によるものではなく、太子の自発的な念いから述作されたもので

  • 十 七 条 心 得 (十七条憲法 原文 等)

    【 第一条 】 和を宗とする人の集まりおたがいの心が和らいで協力しあうことが貴いのであって、むやみに対立したり争ったりしないようにしましょう。それを根本的な理念としなければいけません。ところが人にはそれぞれ自己中心的な執着心があるので、自分の立場に固執して物事を見たり、自分の都合で敵味方の区別を分けたりして、大局を見通している人は多くありません。それだから、身近な人間関係から、問題が起こりがちなの

  • 大乗在家仏道六徳目

    十七条憲法を6つの徳目に要約し、六波羅蜜の教えに重ねて意訳しました。 ① 智・智慧 識るべきことを識る私たちはみな、自己中心的な執着心から離れられないでいます。けれどもまた、真心こそが大切であることも、どこかで気づいているはずです。仏教には自然の道理が説かれています。仏教に学び、真実信心の気づきを深めていくことで、多様性のある寛容で調和した世界が、いつかはかならず実現されるはずです。 ② 義

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