【第二条】まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。
ここに示される「三宝」とは、仏教の基本的な用語であり、仏教を信仰する者が尊ぶべき三つの宝「仏・法・僧」を指すものです。
まずは仏教の起源に基づいてこの三宝を説明するなら、仏とは「歴史上インドに実在された釈尊(仏陀・ブッダ)」をいい、法とは「釈尊によって説かれた理法(仏法・ダルマ)」をいい、僧とは「釈尊の教えのもとに集う弟子たちによる教団(僧伽・サンガ)」をいうものです。
これらの「三宝」に帰依することは、仏教徒であることの大前提です。しかしながら仏教は、インドから地球上の様々な地域に伝播していった世界宗教であって、その教えの展開に伴い、「三宝」の捉え方も拡大発展的に変化していきました。
仏教が伝来した当時の日本においては、歴史的ブッダである釈尊滅後1000年以上が経過しており、そこで伝えられた教義の内容は、インドにあった「原始仏教・初期仏教」から大きく在り方が変容した、東アジア的な仏教、いわゆる「大乗仏教」でした。
大乗仏教においては三宝の捉え方もまた変容し、仏・法・僧はそれぞれ、「仏像(ブッダ)」と「仏典(ダルマ)」と「仏教を奉じる和合衆(サンガ)」として捉えられたようです。この[第二条]に記されている「三宝」とは、釈尊と仏法と僧伽への帰依ではなく、仏像を礼拝し、仏典に道理を学ぶ、仏教を基礎とした理念に基づく共同体を示すものと考えるべきでしょう。
歴史的に実在したブッダである釈尊を奉じるのではなく、人型をした仏像を奉じるからといって、何もそれが偶像崇拝のような宗教形態にとどまるものであったと考えるべきではありません。中村元氏は、著書『聖徳太子・地球志向的視点から』のなかで、この条文においては、三宝のなかでも「法」すなわち「仏の理法」が、殊更に強調されていることに注目されています。
ここに普遍的な理法の観念が表明されていることは注目すべきである。聖徳太子およびその下にある一連の官僚群によっては、仏教は、なんぴとも遵守すべきところの普遍的な教説という自覚のもとに摂取され受容された。仏教のことを「四生(四種類のあらゆる生けるもの)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり」と評価し、仏・法・僧の三宝のうちでも、とくに法すなわち教法を重要視した。したがって、「いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん」と説いている。聖徳太子によれば、あらゆる生きとし生けるものの「規範」となっているものが「法」であり、仏というものも実は「法としての身体(法身)」であり、それが「理と和合すること」がサンガであるという。その内実においては、「法」という一つの原理に帰一しているのである。(P130)
儒教における五常に説かれることは、世間的な範疇における倫理的な徳目でした。これまでに見てきた〈智〉〈義〉〈信〉〈礼〉〈仁〉の各章においても、そこでの条文は主に、朝廷における内政に関する内容でした。しかしながら十七条憲法が対象とする世界観は、極東の島国の内側に小さくとどまるものではありません。国際的な視野で、諸外国に対する外政も意識されているものなのです。
太子は仏教を、生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。と評されています。これは何も、大袈裟なことではありません。
いずれの時代のいかなる人にとっても、よりどころとして信じるべきに相応しい「原則的な理論」が、仏の教えには説かれています。ここに示される仏教の「理法」とは、現代科学にも通じる、因果・縁起の道理に基づく「真実の法則」をいうものです。各々の国々に多様に見られる文化や思想や価値観を超えた「人類普遍の真理」が仏教に説かれていることを、太子は深く了解されていたのです。
儒教によって勧められる五常の徳を踏まえながらも、更にそれを越えたところの〈真実の大いなる徳〉を得るには、仏教に説かれる「理法」を習得するべきであると、太子は考えられたのでしょう。
〈徳〉の章の前段となる[第二条]では、まず、仏教の基本となる「三宝」を、国政の規範とするべきことが説かれました。そしていよいよ、十七条全体の締めくくりにもなる中段・後段には、言葉を尽くして論議することの肝要が、説かれます。