【 第十五条 】
 みんなのお寺でありますように

自己中心的にならないようにして、他者のために進んで行動することが、寺院の役職に就く者の理想的な在り方です。

大体にして自己中心的な思いで物事に関わっていると、思いどおりにならないことの苛立ちから、恨みや憎しみの心が起こってくるものです。

恨みや憎しみの気持ちが起こると、心を一つにして行動を共にすることができなくなってしまいます。

心を一つにして行動できなくなってしまうと、私的な感情のために関係がぎこちなくなって、寺院がするべき仕事の妨げにもなってしまいます。

恨みや憎しみの気持ちが起これば、みんなで決めた約束に反して、仏法を害うことにもなってしまいます。

だからこそ第一条にも「ともに調和につとめて協力しましょう」と記されているのです。

 

身勝手でわがままな振る舞いを当たり前のようにしていれば、人間関係がうまくいかなくなるのも当然です。

誰の思いどおりになるわけでもなく、人と人とのご縁があって、その関わり合いから物事は起きるものです。

気持ちよく付き合っていくための距離感ということも、人付き合いには大切なことかもしれません。

 

 

【 十七条憲法・第十五条 】

[原文]
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

[書き下し文]
十五に曰く、私(わたくし)を背(そむ)きて公(おおやけ)に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。憾みおこるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う。上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。

[現代語訳]
私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあると、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害うことになる。だからはじめの第一条にも「上下ともに和らいで協力せよ」といっておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。

[英語訳]
15. To disregard private benefit and to aim at public benefit is the duty of officials. If one is motivated by private benefit, resentment must arise. And if there is a feeling of resentment, it will be very difficult to work with others harmoniously. If one fails to work with others harmoniously, he impairs the public benefit with private motives. If resentful feeling occurs, it subverts the laws. That is why in the first article it is said that “those high and those low should be harmonious and friendly.” Its purport is similar to this.

出典:中村元 著『 聖徳太子 地球志向的視点から 』(東京書籍)THE SEVENTEEN-ARTICLE CONSTITUTION by Prince Shoutoku Translated into English by Hajime Nakamura

 

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大乗在家仏道六徳目

 

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