『礼記』には「仁は人なり」とあり、『孟子(尽心章句下)』には「仁ということばの意味は人、つまり人間であれ、ということである」と記されているように、儒教における〈仁〉の意味は「人として人を愛すること」であると捉えられます。

 これに説明的な意味を付け加えるなら「利己的な欲望を抑えて礼儀を重んじ、万人に対して慈しみをもって愛すること」とも言えます。それはまた「人と人との間に生じる相互の思い遣り」とも言い換えられるでしょうか。

 

 これまでの〈智〉〈義〉〈信〉〈礼〉の各章においては、いわゆる基本的な「人間道徳」について語られてきたわけですが、この〈仁〉の章では、太子の理想とされた社会の「全体像」が語られることとなります。

 この章で取り上げる[第十五条][第三条][第十六条]では、〈仁〉の徳に基づく理想的な社会と、そこでの人々のあり方について説かれています。十七条憲法の世界観においては「天皇」と「臣下」と「人民」の三者によって構成される社会ですが、人間は互いにどう関わり合うべきかということについての、太子の理想がここに示されます。

 まず前段の[第十五条]では、臣下たるもの、自らの利己心を省みて、他者と心を一つにして物事を行いなさい。そして、公のために尽くしなさいと、太子は諭されます。

 

第十五条】私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあると、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害うことになる。だからはじめの第一条にも「上下ともに和らいで協力せよ」といっておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。

 

 前段にあたる[第十五条]にはまず、私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。と提唱されています。ここにあるのは、「私」と「公」という二つの語であり、この二つは対比して考えられる相対的な概念です。

 『字源』によると、これら二つの漢字に見られる「厶」の部首は、わたくし。私に通ずとあります。そしてまた、ウィクショナリー日本語版の「私」の項目には、

禾(稲の意)+音符「厶」(腕を回して物をとる様で「わたくしする」の意)。私有の稲の意味から、わたくしする(自分のものにする)の意味になった。

と解説されています。「私」とは、物事を抱え込むようなイメージのある言葉であり、それは人間の自己中心性を表す「我」という言葉に同義であると思われます。〈智〉の章の後段[第十条]の条文には、人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。と述べられていましたが、ここでも重ねて、自己中心性から起こる人間の「執着」について示されているのです。

 次に、ウィクショナリーの「公」の項目をみると、

下部の「厶」(対義字である「私」の原字)を開く(「八」)ことから、おおやけの意が生まれた。

と解説されています。私有の稲を開くという意味から、八(開く)+ム(私する)= 公(私にしないで開く)となり、それがすなわち「公(おおやけ)」の意味にもなるようです。『説文解字』には「平らか分けるなり。八に従い、ムに従う。」とあるように、分け隔てなく偏らないという意味も、そこには含まれているようです。

 プライベートとオフィシャルでは、一人の人であってもそのあり方が違うのは当然です。プライベートは個人の自由であっても、オフィシャルな場においては、他者との共存を意識しなければならず、公私混同はいけません。公共の場においては、私情に閉ざさず、心を広く社会に開いていなければいけないということです。

 

  〈仁〉とは人に接する際の心のあり方をいいます。それは、人と人の間にある相互の思い遣りが基本となるものです。そのような良好な関係性は、自然と和らぎの雰囲気となって現れるのだと思います。優劣や損得や上下関係にこだわってそれに固執するのではなく、お互いに調和した状態でいることが、大切です。第一条に重ねて繰り返し告げられる「上下ともに和らいで協力せよ」の言葉に、聖徳太子の心からの願いを感じ取らなければいけません。

 人と人とが傷つけ合うことの無い、誰もが平和に暮らすことのできる社会であることが、太子が最も願われた世界だったはずです。

 認め合うこと。許しあうこと。寛容になること。話し合うこと。そして時には、適度な距離を保って付き合うことも、大切です。

 

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