第一の〈智〉の章の前段では、〈信〉は〈義〉の根本である。何ごとを為すにあたっても〈信〉をもって為すべきである。と示されました。そして、続く第二の〈義〉の章では、官人としての「為すべきこと」が三つの条文に示されました。

 これらを併せて考えてみると、官人として為すべき「義務」があるとしても、その根本にはやはり「信頼」がないといけない。何事を成すにおいても「誠実さ」が大事であることが示されているように思われてきます。

 儒教における〈信〉とは、「偽りのないこころ」「真心」「誠実さ」というような意味を表し、それは「信条」や「信念」そして「信頼」に通じるもののようです。

 自分に与えられた義務として、やるべきことさえやっていればそれでよいというのではなく、人と人とが心を通じ合わることこそ大事であることを、「信是義本 每事有信」とまず最初に告げられていたようにも受け取られます。

 

 前の〈義〉の章に挙げられた三条を、前段・中段・後段とするなら、この〈信〉の章に挙げられる三ヶ条にも、それに対応する関連性があるものとして読み取ることができそうです。〈信〉の章における前段・中段・後段を、〈義〉の章の各条文に照らし合わせながら、読んでいきましょう。

 

第十二条 】もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。全国土の無数に多い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税といっしょにみずからの私利のために人民たちから税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。 

 

 十七条憲法の古代においては、天皇に対する「忠誠心」が求められているように読める内容ですが、現代に置き換えてみるなら、国であっても自治体であっても、町内会であっても会社であっても、公共の集まりに属する限りは誠実にそれに関わり、公私混同してはいけないことが示されていると読み取られます。

 〈義〉の章の前段にあたる[第八条]では「時間の約束を守ろう」と示されていましたが、時間と同様に、公共における基本的な注意事項として「金銭」に関することがあります。

 公金の会計や予算立てに個人的な利害を交えることは、公人として決して許されないことです。それと同時に公民としても、そこで取り決められている納税は、果たさなければいけない義務としてあります。社会に関わる際の最低限の義務として「公財」に関わることには、誰もが誠実に対応しなければいけないということでしょう。

 自分には甘く他者には厳しくなりがちな私たちですから、まずは社会人として心得ておかなければいけないこととして、公共においては利己的な振る舞いをしてはいけないということが、ここに諭されています。

 

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