第一部 ① なぜ智義信礼仁徳の順なのか?

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 学校や会社やサークルや町内会や自治体などといった「共同体」が、大小を問わず、私たちの社会にあります。人は一人で生きていけるものではないので、どうしても何らかの人々の集まりに属しながら、生きているものです。大きな単位では「国家」があるでしょうし、身近なものとしての「家族」も一つの共同体といえるでしょうか。

 どのような単位の共同体であっても、それが複数の人の寄り集まりである限り、「世話役」となってその運営を担う人がいなければいけません。みんなのことに関する公共的な仕事を、誰かに任せる必要があるということです。

 どんな単位の共同体であっても、さまざまな役割分担があり、選任者によって構成される役員会や執行部があって、その取りまとめをする責任者や代表者がいるものです。複数の個人がただ無秩序に集まっているだけでは、共同体は成り立ちません。そこにはなんらかの、社会的な取り決めとなる「形式」と「理念」が必要になるのだと思います。

 

 政治家としての聖徳太子の有名な事績に『冠位十二階』と『十七条憲法』があります。これらはそれぞれに、朝廷における官職の階級と、宮仕えに際する基本理念を明示化したものであって、公(おおやけ)の役職に就く官人に向けて制定されたものでした。これらの施策は、広く一般の民衆に向けられた規則ではなく、国に使える官人のための取り決めでした。

 

 私は、慶集寺という寺院の住職であると同時に、宗教法人としての慶集寺の代表役員でもあります。これまでの永きに渡って伝えられてきたこの寺院を未来に向けて伝えていくためにも、社会に開かれたお寺であるための「形式」と「理念」を取りまとめる必要があると考えたことから、聖徳太子への関心が始まりました。日本仏教の始祖であり、日本という国の最初のオーガナイザーでもあった聖徳太子の為された事績に、寺院運営のヒントを得られるのではないかと思ったのです。

 まずは『十七条憲法』を現代語訳で読んでみるところからはじまり、その原文を探り、その意訳に取り組むようになって17年が経ちました。それは私の、これまでの住職としてのキャリアに重なります。そして令和3年、聖徳太子1400回大遠忌となる節目の年を機会として、これまでに得られた学びと気付きを書きまとめたのが、当小論になります。

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