◉なぜ17条がこの順序で解かれているのか?

 十七条憲法に向き合うにあたって、まず最初に筆者が感じた疑問は「なぜ条文の数が17なのか?」ということでした。それに関しては、先に紹介した中村元氏の書籍をもとに、ひとまずの理解を示されると思います。

 しかしながらまた、もう一つ感じた疑問は「なぜこれらの条文が、この順番に配置されているのか?」ということでした。ただ意味無く、思いつきのままに、これらの条文を並べられたとは思えません。十七条の順序にこそ、太子の意図を読み取る必要があるはずです。

 

 十七条に挙げられた各条文の内容を、太子自ら全てを考案されたと考える必要はないでしょう。その内容から察するならば、大陸渡来の知識人を含む頭脳集団が、今でいう「シンクタンク」のような結社のなかで、議論を繰り返しながら練り上げられたものと考えた方がよいかもしれません。

 論じることの重要性が主題とされるのが十七条憲法なのであれば、これらの条文自体が「論じること」によって創り上げられたと考える方が、説得力があるように思われます。

 

 憲法の[第一条]と[第十七条]には、ともに「論(あげつらう)」という一字を用いて、複数の人々が意見を出し合い議論することの重要性が説かれています。

 ウィクショナリー日本語版には、「論」の字源を解説して、

会意形成文字。「言」+音符「侖」、「侖」は、ひとまとめにするの意を有する「亼」と、竹簡を並べた「冊」の会意であり、さまざまな言説を集める。

とあります。「冊」の部分の説明として記されている「竹簡(ちくかん)」とは、紙の発明以前に使用された、竹を縦割りにして作られた、文字を墨書するための札をいいます。竹ではなく木を冊状に切って作られたものもあり、それは「木簡(もくかん)」というようです。

 太子のもとに集うブレーン達から挙げられた様々な案の書き出された木簡を、座前に並べて吟味し、どれを採用し、どう組み合わせるかを熟考される、聖徳太子の姿が想像されます。

 

 冒頭の第一条に、全条文の基本理念になる「和をもって貴しと為す」をまず最初に掲げて、次の第二条に、全条文の前提規範となる「篤く三宝を敬え」を挙げて、続く第三条からは「詔を承りては必ず謹め」「礼をもって本とせよ」といった現実的な原則を述べていくという条文の流れは、誠に理に適ったものであることに感嘆します。

 十七か条の金言が揃えられていても、私たちのような凡夫が記憶にとどめて意識できるのは、せいぜい三か条か、四か条がいいところでしょう。重要必須の条文から順に読めるように配置して見せておくことを、太子はまず第一に配慮されたはずです。

 しかしながら、十七か条に込められた心を確かに読み取ろうとするなら、当稿で提唱した『陰陽輪環の順読(いんようりんかんのじゅんどく)』を採用して、再度全文熟読してみることをお勧めしたいと思います。

 

 儒教、道教、神道、そして仏教など、既存の知識から様々な語句や例文や思想を引きながらも、そこに独自の解釈を加え、再構成して全くの新しいものにしてしまうその編集手腕に、太子の卓越したセンスが感じられます。

 大陸文化の影響を受けた、斬新な意匠を凝らした武具や衣装と同様に、十七条憲法に施された漢字漢文の措辞のみならず、その全体の構成までにも、巧みな意匠を凝らされたのではないかと、筆者は想像しています。

 それはまるで曼荼羅のような規則性が秘められた、寺院建築のような構造性を持つ、綿密な構想のもとに組み立てられた、17の条文群だったのではないでしょうか。

 

 

十 七 条 心 得 (十七条憲法 原文 等) >>>

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