① なぜ智義信礼仁徳の順なのか?

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◉儒教は倫理と政治の学

 推古朝は日本史上稀に見る仏教尊重の時代だったと言われますが、『冠位十二階』と『十七条憲法』を見ていくと、仏教に引けを取ることなく儒教の思想も色濃いことが、その内容に明らかに見られます。儒教は、本来が治者階級の学問であるといわれます。朝廷に勤務する官人に向けた施策を制定するにあたっては、儒教を参考とするのがそれに相応しく、有効なものだったのでしょう。

 南宋の儒学者・朱子の言葉にもあるように「修己治人(しゅうこちじん)」すなわち「己(おのれ)を修めて人を治める」という思想が、儒教にはあります。「修己」とは、自身において道徳的修養を積むことです。その意味で儒教は「倫理の学」であると言えます。そしてまたそれは、国家を統治する「治人」を目的とするものです。その意味で儒教は「政治の学」であるとも言えます。

 儒教でいう「政治」とは、法律や刑罰で民を規律することではなく、人々を道徳によって善い方向へと導くことを言うようです。それにはまず、己を修めることこそが第一に努めるべきだと考えられたのでしょう。

 儒教(じゅきょう)とは、孔子を始祖とする思考・信仰の体系です。現実的な観点から世俗に向けての教えを説くのが、儒教の特徴であるといわれます。社会における実行力が問われる政(まつりごと)の世界においては、世間的な倫理や道徳を説く儒教の思想を取り入れることが、実利のある得策だったのでしょう。

 

◉聖徳太子の事績に見られる儒教の影響

 『冠位十二階』とは、朝廷に仕える官人に授けられる官位制度ですが、ここに定められている大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という全十二の冠位の名称には、儒教の基本的倫理観である「五常」の徳目「仁・義・礼・智・信」の五つの用語が採用されています。

 

 儒教の始祖である孔子がまず〈仁〉の徳を説き、その後に続く孟子がそれを〈仁〉と〈義〉に分けて説いて、そこに〈礼〉と〈智〉の徳を加え、「四徳」としました。そしてさらに後代になって、董仲舒(とうちゅうじょ)という思想家が、これに〈信〉の徳を加えて「五常」と称されるようになったといわれます。

 五常、すなわち〈仁・義・礼・智・信〉に定義を求めようとしても、古代より人によって、その考え方は様々にあるもののようです。中国でも朝鮮でも日本でも、儒者を志す人は師事する儒家の門下となって、師との交流からその解釈を学んだと言われます。それぞれの徳目に固定的で絶対的な定義があるわけではなく、その解釈には幅の広さがあるというのが、儒教の特質であると言えるようです。(参考書籍『儒教入門』土田健次郎著 東京大学出版社)

 

 『十七条憲法』で最も知られる冒頭の条文「和を以て貴しと為す」は、『礼記』のなかの「礼は之(これ)和を以て貴しと為す」や『論語』のなかの「礼の用は和を貴しと為す」が典拠であると見られるように、十七条の中には儒教の経書に影響を受けたとみられる文言が数多く見られます。

 十七条憲法に儒教の倫理規範が取り入れられているのは、公職に就く官人に求められる道徳性や倫理観を高めるためだったと思われます。そしてまた冠位十二階の位階の名称として、儒教における五常の徳目が採用されていることも、古代の日本における高度な知識は、中国大陸や朝鮮半島の諸国から得られたものであったことを思えば、特段不思議なことではありません。

 しかしながら『十七条憲法』と『冠位十二階』の二つの事績に見られる儒教の要素が、外来の知識をそのまま鵜呑みにしたものではなく、聖徳太子による独特な解釈をもって取り入れられたものだということが、従来より指摘されています。

 

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