① なぜ智義信礼仁徳の順なのか?

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◉冠位十二階の階位について

 五常は、仁→義→礼→智→信と並べるのが儒教においては通常ですが、『冠位十二階』では、仁→礼→信→義→智という、見慣れない順序がとられています。この上に更に〈徳〉の項目を加えて六つにし、〈徳・仁・礼・信・義・智〉の順列を配しているのが『冠位十二階』の階位です。〈礼〉や〈信〉の徳目を、〈義〉や〈智〉よりも上位に置き、〈仁〉を最上位とする五常の上に、更に〈徳〉を置くという配列は、古代中国にも見られることのない珍しい用例だと言われます。

 歴史家の坂本太郎氏は、この〈徳・仁・礼・信・義・智〉の順列にこそ、古代において理想的な国家の樹立を目指された聖徳太子の、独自の思想が見られると論じられています。

憲法十七条の第四条に「群卿百寮、礼をもって本とせよ。それ民を治むる本はかならず礼にあり」と、礼の徳を重んじていることは、仁義礼智信と序でる一般の五常観を破って、礼を仁の下においたことと通ずるものであるし、同じく憲法の第九条に「信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗、必ず信にあり」とあることは、信を五常の最下位より上げて、礼の下に列したことと照応する。

 この一文は坂本氏が1979年に上梓された著書『人物叢書・聖徳太子』に記されているものですが、氏が1938年に発表された学位論文『大化の改新の研究』の中の「冠位十二階補遣」という記述にも、これと同様の意見が述べられた上で、

冠位の名称は正しくこの儒教思想に基づく太子の「理想」を物語るものに他ならない。単にそれが儒教の語を借りた佳号の域に止まらず、理想にまで達しているということは、徳目の順序によって断じ得る。

と力説されています。

 

 四十数年を経た二つの論考に重ねて同じ主張が述べられていることから察しても、冠位十二階に示された階位の順序に太子の理想が示されているという説は、坂本博士が生涯を通して堅持された考えであったと思われます。

 また『十七条憲法』と『冠位十二階』は、一般的にはそれぞれが別個に為された施策として捉えられていますが、坂本氏はこれらの間に見られる関連性を指摘され、ここにこそ、太子の理想が示されているという自説を立てられていたのです。

 

 その上で、『冠位十二階』にみられる十二の数に関して、

事新しく十二支・十二宮の例を挙げること迄もなく、支那古代より十二の数は基準数としての特殊なる意義を有していた。

と述べられ、十二星・十二州・十二諸侯など、中国においては十二の数が様々な事項を一つにまとめる際の基準数となっていたことを、冠位の階数が十二であることの理由として述べられています。

 

 しかしながら、それだけでは、太子の理想について言及するところには至っていないように、筆者には思われます。本来の五常には見られない〈徳〉の冠位を最上位に置いて、〈徳・仁・礼・信・義・智〉の順列とされていることについても、そこに見られる太子の理想が読み解かれなければいけません。

 五常に加えて〈徳〉の項目が置かれたことが、ただの数字上の帳尻合わせでしかないようであれば、それは納得しかねるものです。そのままに受け入れることはできません。

 冠位十二階の順序に太子の理想を見出そうというのであれば、十二階の最高位に〈徳〉の冠位が掲げられていることに、何らかの意味を見出す必要があるはずです。

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