第十七条】重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さなことがらは大したことはないから、かならずしも多くの人びとに相談する要はない。ただ重大なことがらを論議するにあたっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。  

 

 公のことに関しては、決して独断をしてはいけない。小事であればそれぞれの役割分担において一任することも必要だけれども、大事なことに関しては、必ず衆人で話し合わなければいけないということが、ここに告げられています。

 日本に古来より伝わる神話には、神々が河原で話し合いをしたという説話もあるようです。話し合いによって決めることの美徳は、日本の創成期よりあった慣習として伝えられてきたものだということです。前述の中村元氏の文献にも、和辻哲郎氏の著述を引用されて、

日本神話の物語っている古い政治のやり方は、主宰神、或いは君主の独裁ではなくして、河原の会議である。衆論を重んじないところに会議などの行われるわけはない(P137)

とあったことが記されています。

 

 密室政治にしないように、朝庭に控える大勢の官人の拝聴のもとに、討議を行う。付和雷同で大勢になびくのではなく、仏教に説かれる理法に適うところまで、徹底的に議論する。そうしたことの重要性が、この条文には述べられているのだと思います。

 「和」の一字は「かなう」とも読まれます。多くの意見が交流されるなかで、因果・縁起の道理に反することのない、理にかなった、無理のない結論を導き出していこうとすることを、基本的なやり方として示されたのだと思います。

 道理に適うまで話し合われて、合議によって取りまとめられたことが、大臣によって天皇に奏上されます。そしてその内容が「詔」として天皇から下されます。理法の体現者である「仏」の、その代弁者としての「天皇」によって、絶対的な言葉である「詔」が発布されるのです。それは、在家の女性信者である勝鬘夫人が、釈尊の承諾を得ながら仏教の深淵なる法を説くという経典『勝鬘経』にも通じる在り方のように思われます。

 天皇によって下された詔の内容が、たとえ自分の意に反するものだったとしても、すべての者に対して、それを受け入れ従うことが求められます。それは単純に一方的な上意下達で命じられることではなく、事前に合議によって決められた内容であるというところが重要です。一度合議に達したことであれば、いかなる立場があったとしても、全員が心を一つにして、それを実行しようということです。

 徹底的に討議し尽くした上でのことなのだから、あとは各々が自分の役割においてベストを尽くして、みんなでよりよい方向へと進展させていこうということです。ここには「徳治的共和制合議体」ともいえるあり方が示されていると思います。

 

 何でもトップダウンで独断で決めてしまう、ワンマン体制というやり方もあるでしょう。けれども、強権を行使することで一時的に上手くいくことがあったとしても、それは必ずしも長続きするものではありません。持続可能性こそが大事とされなければいけません。

 話し合いが重要であることは、国際的な外交においても同様です。一度取り決められた国際協定を、一方的に反故にしてしまうようなやり方は、決してあってはならないことです。必ず話し合いのテーブルについて、根気強く、平和的に、問題の解決方法を共に探り、話し合っていかなければいけないはずです。

 それは、自分の立場からの一方的な価値観を互いに押し付け合うようなやり方ではなく、双方にとって心からの頷きがもたらされるような、人類普遍の真理に適った話し合いでなくてはならないということです。自国のイデオロギーを振りかざして他国の意見を拒むようでは、国際的な協議に加わることが出来なくなってしまうということです。

 

 そしていよいよ〈徳〉の章においては後段となる[第一条]に、和を以て貴しと為す という、人類普遍の大原則が宣言されます。

 

頁. 1 2 3