はじめに -聖徳太子と親鸞聖人-

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◉聖徳太子の夢告

 親鸞聖人が天台宗の堂僧として二十年のキャリアを積みながらも、法然上人の門下となるために比叡山を下りることを決意されたきっかけとして、六角堂百日間参籠の説話が伝えられます。

 それは、聖人が京都にある六角堂に参籠された時、その九十五日目に観音菩薩が夢に現れ、そこで受けられたお告げをきっかけとして、法然上人の説かれる専修念仏(せんじゅねんぶつ・南無阿弥陀仏をただ一心に念じること)の教えに入門されることを決意されたというエピソードです。

 京都の六角堂は、聖徳太子が創建されたと伝えられる寺院です。聖徳太子を観音菩薩の生まれ変わりと信じる「太子信仰」は、平安時代の頃より広く浸透していたようで、太子が観音となって夢に現れ、自分の未来に啓示を与えてくれたのだと、親鸞聖人は信じられたのです。

 聖人は、国家的な学術機関であり仏教の総合大学とも言える比叡山で、さまざまな仏教を学ばれたはずです。そうした修行生活のなかで、どのような教えを自らが勤める仏道として選び取るべきか、自分を偽ることなく真摯に見極めようとして、六角堂の参籠に臨まれたはずです。昼夜を問わずただひたすらに、仏道成就の祈願を続けて念仏するという極限的な心理状態のなかで、九十五日目にして眼前に現われたイメージが、観音菩薩のメッセージでした。

 観音菩薩は、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍を務める存在です。仏の智慧をあらわす勢至菩薩に対して 仏の慈悲心をあらわすのが、観音菩薩です。親鸞聖人は、観音菩薩の夢のお告げが苦悩する自分を救おうとし、そしてまた、苦悩するすべてのものを救おうとして現れられたものだと、信じられました。世間にあって仏道をゆく「在家仏教徒」としての生き方を選び取るよう、聖徳太子が観音菩薩の姿を現しお告げを示されたのだと、聖人は信じられたのです。

 

 夢のお告げというと、どこか神秘的で非科学的なもののように感じられるかもしれませんが、それがいわゆる超常現象のような、非現実的ものであるとは言い切れません。夢は何も道理に合わないことではなく、現実にあったことが影響して夢を見ることもあれば、夢で見たことが現実に影響を及ぼすこともあって、夢と現実は地続きのようなものです。起きている間、一つのことにひたすらに集中して思い念じていると、そのことが夢にまで影響を及ぼすということもあるでしょう。夢で見たに過ぎないイメージであっても、そのことが自分にとって何か特別に感じられるものであるなら、強く現実に影響を及ぼすこともあるでしょう。

 親鸞聖人が法然上人の門下となって浄土の教えを学ぶことを決意されたのは、浄土念仏の教えこそが、末法の世に相応した教えであると信じられたからなのだと思います。そして、すべてのものが救われ得る仏教の可能性を、そこに見出されたからなのだと思います。聖人は、世俗の生活にあって念仏を称えながら、真の仏教徒としての生き方を、自ら体現しようとされました。そしてそれは、在家仏教徒としての先人、聖徳太子に倣う生き方だったのです。

 

 聖徳太子は用明天皇の長男である皇太子として誕生され、長じては推古天皇の摂政として大和国の政事(まつりごと)に従事された方です。仏法の教えを深く学ばれ、篤く信仰された仏教者でしたが、出家の僧侶としてではなく、あくまでも在家の仏教徒として、生涯を貫かれた方です。その生き方はまさに、僧に非ず俗に非ず、名実ともに「非僧非俗」の在家仏教徒でした。世間に身を置きながらも、仏法を拠り所とする生き方を、その身に体現された方だったのです。

 菩薩とは、仏の世界に到達するまでの、未だ過程にある存在です。しかし同時に、私たちを仏の世界へ導こうと、自らの意志で世間に留まられている存在でもあるのです。仏教は生きとし生きるすべてのものを救おうとする教えであって、その救いの目当てから外れるものは一人としてないと、仏教徒は信じます。

 聖徳太子が観音菩薩となって夢現され、自分と同時にすべての衆生を救うための道を示してくださったのだと、親鸞聖人は深く了解されたのです。

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