はじめに -聖徳太子と親鸞聖人-

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◉世俗にありながら勤める仏道

 誰もが救われ得る教えであるということは、世間にあって悩み苦しむ全ての者を、その救いの対象としなくてはいけないということです。世間から離れて出家者として勤めなければ、その救済に授かれないような教えであるなら、それは限定的で不完全な教えでしかありません。

 誰もが救われ得る仏教は、誰でも勤めることのできる仏教でなくてはいけません。それはつまり、社会において一般生活をする者が、世間にあって実践できる教えでなければいけないということです。

 私のようなものでも救われうる教えでなければ、すべてのものが救われる教えとは言えません。いまここから、私のようなものでも自ら勤めることの出来る、世俗の仏教でなくてはいけません。

 

 聖徳太子は、人間社会の内にあって、実践的に仏教の理想を追求されました。そのことについて仏教学者の中村元氏は、その著書『聖徳太子・地球志向的視点から』のなかで、次のように記されています。

世俗の世界の外に宗教があるとすると、もうそこに対立を認めたことになる。世俗と宗教、俗なるものと聖なるものと対することになる。対立していることにおいて、宗教的な聖なるものは絶対ではない。もしも本当の絶対であるならばすべてを含んだものでなければならない。すると宗教の真理の境地というのは世俗の彼方にあるのではなく、われわれが毎日起きて顔を洗い、ご飯をいただき、茶を喫し、歩いて出かける、この平凡な日常に偉大な真理があるわけで、それを超えたところに宗教の境地があると思ってはならない。(P162)

 

 聖徳太子は、世間に生きる在家仏教徒として大乗の仏道を歩まれ、その道へと人々を導くための手引きとして『十七条憲法』を定められました。そして、大乗の菩薩行を自ら率先して実践されました。親鸞聖人は聖徳太子を観音菩薩と仰ぎ、それに導かれて在家の仏道を歩まれました。私はこれらの人間像を、大乗在家仏道を往く者の永遠の理想像として、貴び敬いたいと思います。

 聖徳太子と親鸞聖人。大乗仏教の歩みをつながれた先人の、世間にあって真を見て生きる、ぶれない生き方。そこに、私たちが今を生き抜くための、活きるヒントを示されているはずです。

 

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