【第十条】心の中で恨みに思うな。目に角を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、自分が正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。しかし自分がかならずしも聖者なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。おたがいに賢者であったり愚者であったりすることは、ちょうどみみがね〈鐶〉のどこが初めでどこが終わりだか、端のないようなものである。それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。 

 

 ここに記された内容は、現代語訳を読めばそのままでも理解することのできる文章です。原文は漢文で書かれていますが、書き下し文を現代語訳したものを読めば、1400年前の文章であっても、そのまま現代人にも受け取られます。

 現代においても古代においても、どんな時代においても、地球上のどんな地域の、どんな世界であっても、人間の社会に共通して見られることが、ここに述べられていると思います。

 人間は、衝動的に行動しがちです。感情的になって怒ったり、それが心に焼き付いて恨みがましく思ったりすることは、誰にだってあるでしょう。けれどもそうした感情にただ振り回されるのではなく、それが起こる心理的な構造を、客観的に認識しなさいと、ここには説かれているのです。

 

 恨みや怒りといった感情の原因として、人はみな自分の立場や価値観にこだわるという性質、すなわち「執着」があることが示されます。執着とは、人間の根源的な性質であって、それは「自己中心性」と言い換えることができます。

 人間関係の基本は「私」と「あなた」が相対する関係性にあります。自分の立場に固執して正当化しようとする心理は誰にでもあって、それらが対立したり衝突したりするようなことはよくあります。けれども、そうした心理を客観的に観察することによって、相手の立場になってみるのが賢明だということです。お互いに立場が異なることに寛容になって、認め合うことが大切なのだと思います。結局のところ、どっちもどっちなのです。

両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。

 一人の人間であるかぎり、自分の立場から離れることはできません。どんなに偉い人であっても、どんなに優れた人であっても、自分の価値基準で物事を二つに分けて、相対的に物事を捉えようとする「分別心」から離れることはできません。

 自分の主観が見る世界は、私の思い込みで成り立っている世界に過ぎず、それはあくまでも「虚仮(真実でない仮のもの)」でしかないと思い識るなのべきでしょう。お互いにそのことを認識したうえで、お互いに過ちを認め合い、許しあいながら、相手に対して寛容になって、付き合っていくことが、賢明だということなのでしょう。

 

 冷静になって、客観的な視点を持つようにして、自己中心の自分を省みるような気持ちを持つことが[第十条]に勧められています。このことは、官人に対する心得である以前に、人として心得ておくべき、誰にとっても大事なことではないでしょうか。誰もが何度も立ち返って、深く心に認識しておくべきことだと思います。

 儒教における〈智〉の意味は、単なる知性のことではなく、道徳的に認識し、それを判断する能力であるといわれています。後段の結論には、このようにも説かれています。

自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。 

 世間にあって人と人との間で生きていくには、独善的であることが、正しいこととはいえません。多くの人々の同意が得られるような、人間の道理に叶うことであってこそ、みんなで協働するに値することなのだと、ここに忠言されているのでしょう。

 自分自身の自己中心性を省みることは「礼節」を知るということにもつながります。自己への執着が原因となって世間の様々な問題が起こるのだから、それに対する対処法としての「形式」と「理念」を定めておく必要があるのでしょう。

 豪族勢力が互いに主張し合って乱立しているような状態から、多様に異なる個性が集まって共和的に成り立つ「官人共同体」を新たに構築していくためには、公共的秩序を維持するための、明確な「形式」と「理念」が必要だったはずです。それが「冠位十二階」であり「十七条憲法」だったのではないでしょうか。

 

 〈智〉の章での認識を前提とした上で、〈義〉の章、そして〈信〉の章、更には〈礼〉の章へと、順に検証して参りましょう。

 

 

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