Ⅳ お念仏の3つのいいところ

私たちが抱える現実的な問題というと、大体は3つのことになります。一つには、お金の問題。二つには、健康の問題。そして三つ目には、人間関係の問題です。

こうした問題に直面すると、藁をもすがるような思いで「神だのみ仏だのみ」と手を合わせることがあるかもしれません。けれども残念ながら、宗教がそれらの問題に即効性のある御利益を与えてくれることはありません。

この壺を買えば病気が治りますとか、間違いなく商売が繁盛しますとか、人間関係が改善されますとか、そういう即効性をちらつかせてくるような宗教もあります。けれども、自分ではどうにもできないことを、宗教がどうにかしてくれるということはありません。

神さまや仏さまが、人間の都合よく便利に役立ってくれるということは、まずありません。

 

私にとっての宗教とは、自分自身の人生を生き抜くための、「拠り所(根拠)」であり、 「羅針盤(指針)」です。あれに迷いこれに惑いしながら生きている私に、ぶれない信念や確かな方向性を示し与えてくれるものです。

世界にはさまざまな宗教があり、ひとそれぞれの信仰があり、どれを信じるのも信じないのも個々人の自由だと思います。

けれどもまた、自分自身が確かに信じて、実践している宗教を、縁ある方々に伝え、おすすめするのもまた自由であると思います。

 

それは、親鸞聖人の説かれた浄土真宗の教え。 南無阿弥陀仏のお念仏を日々の生活に称えながら、自分らしく生きるという、 実践的な仏教のあり方です。

仏教とは本来、ひとに押し付けたり、押し付けられたりするものではありません。 自主性をもって修得される、主体的な信仰が、本来の仏教であり、浄土真宗です。

そのご縁に気付くか気付かないかは、自分次第なのだと思います。

 

 

「なむあみだぶつ」でも「なもあみだぶ」でも「なんまんだぶ」でも「なまんだぶ」でもよいのですが、自分のスタイルで無理なく南無阿弥陀仏のお念仏を称えながら生活するということには、3つのいいところがあります。

1つ目にはまず、お金がかからない。これは重要です。

どれだけ称えても、ただです。好きなだけ称えられて無料です。称え放題です。

宗教法人であるお寺の運営にはやはりお金は必要ですから、無理のない範囲で、できる限りのお布施をしていただけると、本当に助かります。

けれどもお念仏を称えることそれ自体に、特別お金が必要となることはありません。

お念仏を称えることは自分の問題ですから、人からどうこう言われる筋合いはありませんし、誰かからお金を請求されるようなものでもありません。

 

2つ目には、時間がかからない。これも重要なことです。

現代社会においては、何故だかいつも気忙しく、多忙になりがちです。お寺でのお参りにお誘いしても、その日はちょっと予定があって…という方は多いです。

お寺参りよりも優先したいことがたくさんあるのは仕方のないことです。お寺参りは義務なわけではないですから。

けれどもお念仏を称えること自体に時間はかかりません。お念仏を称えることは自分の問題です。

家事の最中や仕事の合間、ヨガをしながら、朝起きたらでも、夜寝る前にでも、いつでもどこでも称えることができます。お念仏をいつも称えていると、それが身についてきます。

お香をいつも焚いているとその香りが身体に薫じられてくるように、お念仏も身についてくるもののようです。何も考えなくても、称えようと自分で意識しなくても、お念仏が自然と口からこぼれるようになるのです。

 

お念仏のいいところの3つ目は、誰にでも出来るということです。

お念仏を称えるのに、何か特別な技術や才能は必要ありません。ただ口に「南無阿弥陀仏」。これだけでいいのです。

何でも三日坊主の私にだって続いていますから、子供でも、お年寄りでも、病気の人であっても、障害がある人であっても、きっと誰でも無理なく出来ると思います。

取り立てて声に出さなくてもいいのです。心の中でそれを称えて、自分自身の心でその声を聞く。心を静かにして、その声に耳を澄ますことが出来れば、大丈夫です。

何回称えればいいのかなんていう決め事はありません。ただ自然に、素直な気持ちで、なまんだぶと称えて、その声に自分の耳を傾ければいいのです。

 

心を静かにして、耳を澄まして、その声に耳を傾ければいいだけです。

自分で称えるお念仏が、気持ちよく自分の耳に聞こえてくるぐらいの感じで。

自分のペースで、無理のない感じで、ちょうどいい感じで。

 

声に出さなくてもいいと言いましたが、ちょっと声に出してみると、 内に溜め込まれたものが、外に発散されて、すっきりするかもしれません。

お念仏は、自分の生活に自然とよい効果をもたらしてくれるものだと思います。悪循環の思考に陥らないように、気持ちのスイッチを切り替えてくれます。

 

気持ちがすーっとして、ほっとして、そして、心にぐっとくる。

どんよりとした心が浄化されて、安らかで豊かなこころになれる。

そんな効果があります。

 

頑張ることは大切ですけれども、頑張り過ぎはよくないですから、 気持ちを楽にして、肩の力を抜いて、「なんまんだぶ」です。

 

お念仏にはいいところが3つあると申しましたが、 本当は、人間の了見でははかり知れない程の、無限のご利益があります。

 

真実とは、思い込むことではなく、気付くことです。

願われて、生かされていることに、気付くことです。

 

無限のご利益のある浄土真宗の教えに、学ぶべきことは多くあると思います。

 

 



photograph:Hajime Honda

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