私たちの世界における諸々の存在や現象は、いかなるものもすべて一時として止まることなく変化し続けています。物も変われば時代も変わり、人も変われば、心も変わっていきます。すべてのものごとは常に移り変わって行くものです。

過去から現在へ、現在から未来へ。止まることも、戻ることもなく、時間はいつも進み続けています。これが諸行無常という事実であり、現実です。

諸行無常は、世界の有り様を実際に観察すれば、誰もが認めざるを得ない真実です。

 

原因があって結果があるという因果律に基づき、過去の経験から推理して未来に起き得ることを予測することは可能です。私たちはそうやって日常生活を円滑にしたり、文明を発展させたりして来ました。

けれども、その全てを思いのままにコントロールしているかというと、決してそうではないと言わざるを得ません。私たち一人ひとりの行為は、私たちの力を遥かに超えた「サンスカーラ(行・形成力)」の流れの内にあって、この世界を人間の能力で完全に制御することなど出来ません。

人間にとって未知の領域はあまりにも広いと言わざるを得ず、人間の知識や意識や認識の範囲は、あまりにも狭いと言うしかないでしょう。

大自然の営みを完全に予測することなど人間には到底不可能なことであって、一度起きてしまった自然現象を無かったことにすることは誰にも出来ません。

過ぎ去りし過去を悔やんでも致し方なく、未だ来らぬ未来の不安を拭い去ることは出来ません。常に変化し続けている現在。現に在る、いまここです。

 

いいときもあればわるいときもあって、勝ったり負けたり、損したり得したり、気分は上がったり下がったり。そんな中で、人間の心はいつも揺れ動いています。定まらず、止まりません。

自分の心も体も、完全に思い通りに制御できるものではなく、自分の心と体だからこそ、思いのままには動かないことに、もどかしく感じてしまうものなのでしょう。

未来に起き得ることを想定していろいろと計画しても、それは自己中心的な目論見の範疇から出ることはありません。たまに予想が的中することがあったとしても、到底百発百中とはいかず、未来は誰の思い通りにもなることはありません。

自分の思い通りにならないことに、不安や不満や不足を感じながらも、それでも何かを求め続け、流されながら生きざるを得ない私たちです。

すべてのものごとは、いつも変化し、常に移り変わり、時とともに流れていくので、ものごとはすべて不完全なものとしてそこに有って、固定的で絶対的で完全なものなど、何一つとしてありません。

 

仏教では、諸行無常のこの世界を「一切皆苦(すべては苦しみをもたらすもの)」であると説かれます。誰もが一人で生きていけるわけではなく、周りの環境に影響を受けざるを得ないこの世の中では、誰の思うようにもなっていないということです。

一つが終わればまた何かが始まるように、すべては変化のなかにあるのですから、自分の思いのままにこのままで、というわけにはいきません。

 

自分の思うようにいかないことが募ると、自分の心に苦しみが生じます。苦しみとは自分の思うようにならないことから生じるものであって、この世の中は誰の思うようにもなっていないのですから、すべては苦しみをもたらす要因であるということです。

すべてが苦しみなんて言われると、生きていれば楽しいこともあるじゃないかと思う方もいらっしゃるでしょうが、ここでいう苦とは単に「苦しい気持ち」ということではなく、「思うようにならないこと」という意味だと受け取るべきなのです。

いつまでも若くて楽しい時間は続かなかったり、いつでも健康ではいられなかったり。諸行無常の世の中で、それぞれに懊悩し煩悶しながら生きる私たちの姿が見えてくるようです。

 

常に移り変わりゆく現象世界のなかに、

常に移り変わりゆく一人の私がいて、

息をしている。

生きているという、ありのままの現実です。

 

photograph: Kenji Ishiguro