仏法(ブッダのダルマ)の基本的な原理として第一に挙げられるのが「諸行無常」です。

それは、この世界のすべてのものが”変わり続ける”ということは、”変わらない”というものです。それを言い換えるなら、この世界で”変わらない”ことは”変わり続ける”ということでもあります。

こうした考えは、一見矛盾しているようにも感じられることでしょう。

しかしながらもう一つの基本原理である「諸法無我」に照らして考えるなら、固定的絶対的なものとして、ただ一つであるものはないということになります。

仏教の基本的な見方である「縁起の理法」に照らして考えるなら、二つの相対する概念は、相互の関係性のなかで、お互いを補い合いながらあるものなのです。

 

諸法無我とは、すべてのものごとは関係性のなかに現象しているという見方であって、それは量子力学の一説として提唱される「相補性原理」にも通じる見方です。

相補性原理とは、一方を否定すれば他方も成立しえない相互依存の関係性をいうもので、何事も個別に独立して存在するものはなく、相矛盾する要素が相互に補完し合い、相互に補足し合い、相互に補整し合って、お互いを成り立たせ合っていることをいいます。

相補性原理に即して考えるなら、絶対の「真実」を、固定的なただ一つのものとして断言することは出来ないということにもなります。真実は矛盾と共にあり、矛盾は真実と共にある。そのような相補的な言い方をするしかないのかもしれません。

関わり合いながら、変わっている。変わりながら、関わり合っている。

関係性のなかで、変化し続けている。変わり続け、関わり続けている。

このような運動性のなかに、すべてのものごとは現象しているということです。

 

生物学者の福岡伸一氏も、このような現象を「動的平衡」と表現されて、自然や環境や生命に見られる恒常的な状態であると言われています。

動的平衡とは、合成と分解、酸化と還元、切断と結合など、相矛盾する逆反応が絶えず繰り返されることによって、秩序が維持され、更新されている状態を指す生物学用語で、私が生物学者として生命を捉えるとき、生命を生命たらしめている最も重要な特性だと考えるものである。[福岡伸一 著『動的平衡-生命はなぜそこに宿るのか-』小学館新書]

福岡氏は、細胞やウイルスのようなミクロの単位から、動植物の群れや生態系のようなマクロの単位にいたるまで、生命に関わるさまざまな事象や現象のなかに「動的平衡」の状態が観察されることを、その著書に解説されています。

生命体とは、交換可能な部品のようなもので構造化されている機械のようなものではなく、あらゆるものとの関わり合いの内に、一時として止まることなく変化し続ける、いまここに活動する現象体なのだといわれるのです。

相矛盾する二つの運動性は、相互に補完・補足・補整・補助しながら、全体的なバランスを保ち続けている働きなのだといわれるのです。

 

すべてのものごとが動的な変化をし続けているということは「諸行無常」と同様の見方であり、それらは相互に依存し合いながら平衡状態を保っているということは「諸法無我」と同様です。

諸行無常と諸法無我という二つの原理の相補的な関係性によって、

動的平衡の状態が示されていると言ってもよいでしょう。

 

photograph: Kenji Ishiguro