若いままでいたい、もっと若返りたい。病気になんてなりたくない。

認められたい。楽して生きていきたい。

もっと自分がこうだったらいいのにと、そう思うことは誰にでもあります。

けれどもそんな思いが強くなれば強くなるほど、心は曇ってどんよりと重い気持ちになります。

人はみな四苦八苦しながら生きているのが現実です。

生老病死の苦しみからは、人間として生きている限り、逃れることができないのだと思います。

そのことを「明らかに見る」なら、その現実をまずは諦めなければいけないのかもしれません。

 

けれどもこの世の苦しみを、ただ諦めていればいいわけではないでしょう。

苦しみがどうして起きるのかという原因こそ「明らかに見る」必要があるのです。

 

 

私たちはみな、自分を世界の中心とする「自己中心点」を持っています。この自己中心点こそが、唯一自分自身の「基準点」になります。

私の「自己中心点」があるゆえに、そのまわりには「自意識の境界線」がぐるりと私を取り囲むこととなります。

 

 

自意識の「境界線」があることで、私自身がこの世界を「内側」と「外側」に分けて見ることとなります。そして、そこでの私はいつもその「内側」にいることになります。

 

 

内側と外側を隔てるそれは、我と他、こちら(此)とあちら(彼)というようにも分かれます。そして私はいつも、必ず境界線の内側にいます。

 

自分の意識の「自己中心点」のある限り「自意識の境界線」は自ずと生じるものであって、国の中にいる自分、県の中にいる自分、市の中にいる自分、地域の、町の、何処かにいる自分というように、世界を内と外との二つに分けて「分別(ふんべつ)」して見ようとします。

 

 

自分の中心点を唯一の「基準点」としてこの世界を見て分けることは、空間的な領域にとどまることなく観念の領域にまで及ぶものです。右と左、上と下、善と悪、正と誤、美と醜、多数派と少数派、、、などというように世界を相対的な二つに分けて、どちらか一方に自分を置いて世界を見ることにもなります。

 

 

ところがそれは、あくまでも自分の決めた基準に過ぎず、現実にこの世界には無数の「自己中心点」が同時に存在しています。存在の数だけ、それに応じた「立場」や「価値観」が多様にあるということです。

 

 

我他彼此(ガタピシ)といって建て付けの悪い引き戸は、スムースな開け閉めが出来ず、ストレスの多いものです。人と人との間にあって、かけ違ったり、すれ違ったり、くい違ったり。思い違いに、勘違い。みんな違ってみんないいとばかりは言っていられないのが、自分の思うようにはならないこの世の難しいところです。

自分にとって好ましいことばかりが私の意識の内側にあってくれればいいのですが、自分一人の都合よくとはいきません。私にとっての不都合なことは、どこかに去っていってくれればよいのですが、ぎくしゃくとして思いのままにはいかない、苦しみの現実です。

 

好ましいものも疎ましいものも、どちらも自分を基準とするものの判断でしかありません。自分の物差しで何かを計ろうとしても、それが正しい物差しかどうかの判断自体のしようがありません。

人それぞれの基準があるだけで、絶対的で固定的な標準基準など何処にも無いのです。誰もが自分の価値基準による思い込みと決めつけで、世界を見ているに過ぎません。

 

私たちは自分の立場や価値感こそが絶対であるかのように執着して考え、それが否定されたり二の次にされたりすることを、不快に感じます。優越感と劣等感、自己愛と自己嫌悪、親近感と疎外感、自慢と自虐、、、極端な感情となって現れるそれらの心理状態は、その両極端のどちらもが、自己中心性に凝り固まった過剰な自意識によって引き起こされるものです。

この世界を分別する意識が、自分と異なるものを区別し、そこに優劣や上下や善悪の差別をつけます。そのうえ損得勘定が働いて、利害関係による敵味方の構図まで現れるのです。

凝り固まった自意識と自意識の対立が、個人的な言い争いから、国際間の戦争に及ぶまでの、あらゆる衝突や閉塞や断絶の根源的な原因としてあるのだと思います。様々な差別や格差の問題も、このような自己中心性が根本的な原因としてあるのでしょう。

 

私たちは誰もが、自分本位な思い込みと決め付けで、それぞれの世界を見ているようです。

鏡に映る自分の顔はいつも左右が反対になっています。自分にとって見栄えのよい顔をそこに映そうとするのが私たちの自意識で、無意識に暮らす普段の顔がそこに映ることはありません。自分のことは自分が一番気付けないものなのでしょう。

 

自己中心的な分別心から起きる自分自身への執着に、苦しみの原因があることを「集諦(じったい)」の真理は明らかにします。

 

photograph: Kenji Ishiguro