十二のひかりと無限のいのち

 

これからこの琳空館を会場として「正信偈(しょうしんげ)」を題材とした、仏教・浄土真宗のお話をさせていただきたいと思います。

生まれ育った家庭に仏間があり、毎月お仏壇にお坊さんがお参りに来るような環境にある方なら、「きーみょうむーりょうじゅにょらーいー」というフレーズではじまる独特の節回しに、聞き覚えがあると思います。しかしながら現代の日本においてはお仏壇をお参りされること自体が当たり前とは言えなくなっていますので、「正信偈」というお経自体初めて耳にするという方もいらっしゃるかもしれません。

正確に言うなら、正信偈はお経ではなく「偈頌(げじゅ)」という、仏さまの徳を讃える韻を踏んだ詩(うた)です。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人がつくられた偈文(げもん)で、聖人の著作である浄土真宗の聖典『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中の一部分としてあります。

正信偈は全六巻ある『教行信証』という大著の中の第二巻「行巻」の巻末にあって、書物全体のエッセンスを凝縮したような内容が、読みやすく覚えやすく840文字にまとめられています。

 

 

浄土真宗の教えの要点がまとめられたような内容なので、正信偈を理解することができれば浄土真宗の教えを把握したことと同じだとさえ言われます。けれどもよほど教えを深く学び込んでいなければ、正信偈に込められた一文字一文字の重要な意味を、読み解けたとは言えません。

私は毎日のお勤めで何度もこの正信偈をお読みしていますので、これまでに通算何回読んできたかは数えきれないほどですが、どれだけ読んでも新たな気付きがあります。一生かけても完全に読み解くことはできないほどの、深く厚みのある内容です。読み飽きることなく、死ぬまで気付きを深めることができる「座右の仏典」です。

何も考えることなく日頃から「南無阿弥陀仏」を称えて親しむことが大切だと言われています。けれども「南無阿弥陀仏」に込められた意味や、それが称えられる根拠や理由を知ることから、謎解きのようにして「南無阿弥陀仏」に取り組み始めるのも、一つのアプローチだと思います。

浄土真宗に関心があって、これから学んでみたいと思っているような人にとって、正信偈は教えの肝要がまとめられたよいテキストになると思います。

 

日頃から自然に「南無阿弥陀仏」を称えながら生きるようになれたら、生活や人生がこれまでとは異なる質のものとなるでしょう。「南無阿弥陀仏」が新たな輝きを放ち始めるでしょう。

現代に生きる私たちにとって、浄土真宗の教えが心から素直に肯けるものとなるように、自然と手と手が合わさるように、なったらいいなと思っています。正信偈に親しむ方々とのご縁がつながりひろがって、信心が多くの人の心に伝わっていくことを、心より希望しています。

 

では、正信偈の1ページ目を開いてみましょう。 >>> 次へ

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