十二光について その3
(06)清浄光 (07)歓喜光 (08)智慧光

仏教では、私たちの心には ①貪欲(とんよく)②愼恚(しんに)③愚痴(ぐち)といわれる「三つの毒(三毒の煩悩)」があると説かれています。それは、①欲しがる心 ②怒る心 ③愚かな心 の三つです。どんなひとでも自分の胸に手を当てて内なる心を見つめてみれば、三毒に日々煩い悩まされているものではないでしょうか。

このような心の状態を、仏教では「無明(むみょう)」といいます。真実をありのままに見ることが無く、心が明るく無いということです。けれどもそんな私たちの心さえも疎んじることなく、障害とせず、どんなときにも常に照らす「アミターバ(阿弥陀の光)」のあることが示されます。

①その光は、欲望のままに満足しない心の汚れを、清らかに浄めようとするので[清浄光]と言われます。

②そしてまた、怒りや憎しみの状態を和らげて、喜びの心をもたらそうとするので[歓喜光]とも言われます。

③ありのままに物事を捉えられない私たちの心を照らし、真実のあり方に気づかせようとするので[智慧光]とも言われます。

 

私たちは、自分の立場や価値感こそが絶対であるかのように執着して、それが否定されたり、二の次にされたりすることを、不快に思います。思い思いの思いがあって、思うようにはいかない世界のなかで、私たちは怒り、欲しがり、愚かな行いをしてしまいます。自己中心に凝り固まって、自分の殻に閉じこもり、塞ぎ込んでしまいます。

お先真っ暗と絶望したり、この世は闇だと閉じ籠ったり、一寸先は闇と不安感に苛まれたりということは、誰にでもあることだと思います。

 

明るい場所から暗いところへ急に閉じ込められたりすると、真っ暗になって何も見えなくなってしまいますが、やがてどこかから、光が漏れてくることに気づきます。

しばらくして目が慣れてくると、辺りがじんわりと見えてきます。

世界が現れてきます。

 

真実のあり方に気づくことができれば、自分の欲深さや自分勝手な感情にも、冷静さをもって対処できるはずです。思い込んでいるだけなんだと、気付けるのかもしれません。

心の暗闇に差し込む一筋の光によって、私たちの進むべき道が照らされます。それが仏道です。

「南無阿弥陀仏」と称えることで、無明の我心に光が差し込み、一筋の道が現れます。

それが、念仏道です。

 

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