【 令和最初のお盆に思う 】

令和最初の夏は連日の猛暑。私が子供の頃はもうちょっと過ごしやすかったような気がするのですが、これが気候変動、地球温暖化の現状なのでしょうか。

うちのお寺の境内地には古くからの墓地があるので、お盆は御堂でお墓参りの方々をお待ちして過ごすのが慣例です。けれども昔と同じでないのはお天気ばかりではなく、お盆のありようも家族のありようも、年々移り変わっていることをひしひしと感じました。

これまでは小さかった子供たちが若者になって、若者だった人たちが中年になって、中年だった人たちが中高年になってという移り変わりの中で、これまでずっとお墓参りをされていた方々が、この酷暑のなかではお参りに来れなかったり。病院や施設に入っていたり。いまはもうお墓の中だったり。

日本人の平均寿命は、大体84歳。そして80代の子供の世代は、大体50代。ということは50代にもなると、高齢者となった親の介護や、看取りや、喪主をする経験だって、当然多くなってくるということです。

かくいう私も6年前には父の喪主を務めました。そして現在84歳の母が、近所で一人暮らし中。昔は他人事のように考えていたことが、現実のこととして受け止めなければいけないことにもなってきました。

いつまでも夏に浮かれていられるばかりではなく、憂き世を耐え忍ばなければいけないことだって、多くあります。お墓の前で家族といっしょに手を合わせるときの憶いも、自然と年相応になってきたような気がします。

 

 

【 生まれて 老いて 病いになって 死ぬ 】

お釈迦さまの説かれた仏教の大前提は「生老病死」です。人間はみなこの世に生を受けた瞬間から刻々と年を取り、病にもなり、そしてやがては死にます。

生まれたかぎりは、必ず死にます。生まれてから死ぬまでのあいだに、それぞれがそれぞれの老いや病いを受け入れて、生きていかなければいけないということです。

受け入れがたい「生老病死」の現実を直視して、それから逃げようとするのではなく、乗り越えて生きていくあり方が、仏教には説かれています。

先に生きる方々の姿をありのままに見て、人間の「生老病死」の現実に、気づかなければいけないのでしょう。そして、やがては自分も行く道であることに、少しづつ気づいていかなければいけないのでしょう。

 

 

ご縁のなかで起きること 】

暑かったお盆の日々を乗り越えて、お天気も少し和らぎちょっとは時間と心に余裕ができてきたところで、ひさしぶりにエンディングノートを開いてみました。

[ 介護について ]というページには、こうあります。

認知症やその他の病気、ケガによって、判断能力がなくなったり、コミュニケーション能力が低下したときのために、自分の考えや希望を記入しておきましょう。介護されるときに役立つよう、あなたのことを記入しておきましょう。

いまはまだ起きていないことに、いちいち気を病むことはないはずです。けれども、いまある健康や日常や生存が、けっして当たり前ではないことに、深く気づいていなければいけないのでしょう。自分の思うがままにはいかないのが、人生の当然です。

続く [ 告知・延命処置について ]というページには、こうあります。

もしあなたが重病になると、あなたに病名や余命を告知するかを、家族が判断しなくてはならないことがあります。あなたの意識がない状態で、あなたに延命処置を行うか家族が決めなくてはならないこともあります。もしもの時に家族の負担を軽くするために、自分の考えを記入しておきましょう。

健康なときには、自分一人でも生きていける、自分は一人で大丈夫、と思っていられるでしょう。けれどもいざ、その健康や日常や生存が危ぶまれるような状態にもなってしまうと、誰かに頼り、任せるほかになくなってしまいます。

私がいま生きているためには、両親や家族をはじめとしたさまざまな人たちとのご縁があるわけで、さまざまなご縁のなかで私は生きています。そんなご縁のなかで年を取り、病にもなり、そしてやがては、死にます。そんなすべては、ご縁のなかで起きていることです。

いつもそばにあるご縁から、当たり前とは思わずに、よいつながりを育んでいかなければいけないのでしょう。そんなご縁がそのままに、自然と自分の人生になっていくのでしょう。

 

 

人事を尽くして天命を待つ 】

八月ももうすぐ終わろうとする今日、私、慶集寺住職は50歳の誕生日を迎えました。

心中はいろいろあって、とても余裕の五十路とはいえませんが、多くの方々に支えられて、どうにかおかげさまで生きてます。生かされてます。

五十にして天命を知る、という言葉があります。自分の「天命」が何なのかは50になってもなかなか悟れませんが、自分がなんでも出来るわけではなく、自分に出来ることを、自分に与えられたことを、ただ誠心誠意やるしかないことだけは、五十にして悟れたような気がします。

人事を尽くして天命を待つ、という言葉もあります。自分ができることをただ精一杯にやるだけやったら、あとは天に任せて、自分の人生を受け入れるしかないということです。

太く短く生きるのがいいか、細く長く生きるのがいいかなんて、戯れ言ってても意味無いこと。

今を太く、さらに太く生きていこうと思って。

いつ死んだって悔いのないように、この命を生きようと思います。

あ と は お ま か せ 南 無 阿 弥 陀 仏