時代劇のようなご時世であれば「死して屍(しかばね)拾うものなし」ということもあったかもしれません。けれども現代では、誰かが亡くなられたら、そのご遺骨がのこされますし、それをどこかへ葬らなければいけない、ご遺族ものこされます。ならわしやしきたりにとらわれることなく「葬送の在り方は自由」なのかもしれませんが、いざ「なんでもあり」となってみるとなると、どうすればいいのか? これからの葬送について、考えてみましょう。
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