浄土真宗の心  親鸞聖人の願い



琳空山 慶集寺は、親鸞聖人の説かれた( 南 無 阿 弥 陀 仏 )の教えを、
いまに受け継ぐ、浄土真宗の仏教寺院です。



浄土真宗の宗祖である

親鸞聖人( しんらんしょうにん )は、

今から800年ほどのむかし

平安時代末期から 鎌倉時代にかけて

90年間の生涯を

人間として 生きられました。

承安3年(1173)4月1日 -
弘長2年(1263)11月28日


聖人が生きられた平安末期から鎌倉にかけての時代は、政治が腐敗し、乱世となり、
天災や飢饉に見舞われて、大火や、内乱や、犯罪や、疫病が、一時に押し寄せてくるような
混乱した社会にあって、世間の人々の心は、非常な不安定状態に陥っていたといわれます。


仏教では、釈尊の入滅後を、

① 正法の時代( 教えがよく保たれ、正しい修行によってさとりが得られている時代 )
② 像法の時代( 教えは保たれているが、形だけの修行となり、さとりは得られない時代 )
③ 末法の時代( 教えはあるが、修行する者はいなくなり、さとりを得る者もいない時代 )

の3つの時代に区分して観る歴史観があります。

正法の時代が、500年から1000年、像法の時代は、それに続く1000年間、
そしてその後には、10000年の末法の時代がやってくるとされていたなかで、

聖人が生きられた時代は、「 末法の世 」がついに来たと、人々が感じざるを得ないような、
混乱を極めた社会状況にあったようです。


そんな時代の人心の不安に応えるようにして現れたのが、
法然上人〔浄土宗〕 栄西禅師〔臨済宗〕 道元禅師〔曹洞宗〕 日蓮上人〔日蓮宗〕といった
いまにして「 鎌倉仏教 」と呼ばれる、当時の新興仏教の開祖方でした。

それら鎌倉仏教の諸宗派のひとつとして数えられる浄土真宗ですが、
始めから「 浄土真宗 」という宗派や教団のようなものを、
在世中の親鸞聖人が創られたわけではありませんでした。

聖人自身は、一宗派の創立も、大教団の創設も、壮大な寺院の建設も、
それらを人生の目標とされることは一切ありませんでした。

専修念仏の教えを説く法然上人の門弟として、師に絶対の信頼を寄せられた親鸞聖人は、
( 南 無 阿 弥 陀 仏 )の教えこそが、末法の時代に( 真実 )を伝える仏教であると確信され、

それを強調して表すために「 浄土真宗( 浄土の真実を説く教え ) 」という言葉を用いて、
ただその実践と伝道にのみ、自らの生涯を生き抜かれたのです。


親鸞聖人がいまに伝えられた「 浄土真宗 」には、
聖人在世の時代から脈々と受け継がれている、独自の教えと、その特徴があります。

それらはまた、人心の不安定な現代という「 末法の時代 」に、
本当の( 安心 )をいただくために押さえておくべき、浄土真宗の肝要です。

末法の時代を生き抜かれた宗祖のご生涯を振り返りながら、
浄土真宗の8つのキーワードについて、順を追って学んでいきましょう。


① 非 僧 非 俗 ( ひそうひぞく )
僧侶ではない 俗人ではない ひとりの念仏者である


② 自 信 教 人 信 ( じしんきょうにんしん )
自らの信ずる心を そのままに人に教え 信じ伝えよう


③ 信 心 正 因 ( しんじんしょういん )
信心こそが 苦しみの世界から解かれるための 根本要因


④ 他 力 本 願 ( たりきほんがん )
閉塞的内在の世界に向けられた 解放的超越からの本願力


⑤ 浄 土 往 生 ( じょうどおうじょう )
思うようにならない娑婆世界から さとりの境地に向けて


⑥ 自 然 法 爾 ( じねんほうに )
おのずからそうなる 自然のはたらきで そうなる


⑦ 悪 人 正 機 ( あくにんしょうき )
自意識の凡夫である私こそが 仏の救いの真の目当て


⑧ 称 名 報 恩 ( しょうみょうほうおん )
生かされて生きる 今ここに感謝の 南 無 阿 弥 陀 仏



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