[ 62歳で京都へ帰る 教行信証の執筆 ]
62歳になられた親鸞聖人は、約20年におよぶ関東での布教伝道の生活を終えて、
念仏の教えを直接伝えた各地の門弟たちにその後の活動をゆだね、
家族をともない京都に帰ることを決断されます。
聖人の影響力による念仏信者の集団があまりにも大きくなっていったために、
鎌倉幕府による弾圧の危険性が高まっていったからとも、
教主としてのカリスマ的な存在に祀りあげられることを、
御同朋御同行の信念にもとづいて、回避しようとされたからともいわれています。
帰洛後の聖人の暮らしぶりは決して豊かではなく、
京都在住の弟たちの住まいに身を寄せながら、
生計は東国の門弟たちから送られてくる懇志を頼りとしていたようです。
清貧生活を送りながら、関東から頻繁に届く質問に手紙で答え、
人々と語り合いながら、常に念仏を称え、執筆活動に精を出す生活。
そして、関東時代より書き続けられた『 顕浄土真実教行証文類 』の補訂を、
その後の生涯をかけて続けられました。
[ 息男・善鸞の義絶 ]
聖人に教えをたずねようと京都までやってくる熱心な門弟たちもいましたが、
帰洛後20年も経つと、正しい念仏を伝える指導者のいなくなった関東の門徒のなかには、
法然上人から伝わる「 専修念仏 」の教えを、曲解するような異端者も出てきました。
異端者は大きく両極端に分かれて現れました。
一方は、どんな悪事をはたらいても念仏さえ称えていれば、
浄土へ往生できると説く[ 造悪無碍(ぞうあくむげ)]。
もう一方は、念仏は数多く熱心に真面目に称えるほど多くの功徳があり、
善業もまた浄土往生の手段になると説く[ 専修賢善(せんじゅけんぜん)]。
そのうちにこれらの異端者たちは念仏者集団の内外で問題を起こすようになったので、
それを伝え聞いた聖人は、これらの異端をどうにかして正しく導こうとして、
息子の善鸞を使者として、関東へ派遣しました。
聖人の名代として赴いた善鸞は、
東国での念仏教団の中心的な地位について門徒たちを統御しようとしましたが、
既に各地に拠点を築いて念仏の教えを伝え広めていた他の門弟たちは、
いくら善鸞が聖人の息男であったとしても、
そう簡単にそれに同意しようとはしませんでした。
そんな困難な状況の中で、東国教団の結束を切り崩して自分の勢力の拡大を計った善鸞は、
聖人の血統を利用した異議を唱えて、
「 自分は父である親鸞から念仏の奥義を秘かに授かった 」と吹聴したり、
他の門弟を鎌倉幕府に訴えたりして、謀略的な画策をしました。
そのような状況を伝え聞いた京都の聖人は、
念仏の精神に反して多くの門徒衆を混乱させたという理由によって、
ついに、息子である善鸞の義絶を決断されます。
時に親鸞聖人84歳。
肉親であることの情よりも、正しい念仏の教えを守ろうとされた聖人は、
最も身近な実子にさえも、正しい念仏の教えを伝えられなかったことを、
深く悲嘆されつつ、苦渋の決断をされました。
[ 法然上人と親鸞聖人の信心 ]
肉親である善鸞を義絶してまで聖人が守ろうとされたのは、
師である法然上人から教え伝えられた「 専修念仏 」の教えと、真実の( 信心 )でした。
専修念仏とは、
「 ただひたすらに念仏をとなえれば、誰もが阿弥陀仏に救われて、極楽浄土に往生できる 」というシンプルな教えです。
けれども、シンプルであるがゆえに、さまざまな捉え方ができるのであって、
念仏さえとなえていればどんな悪い行いをしていても大丈夫だという[ 造悪無碍 ]や、
真面目に念仏をとなえて心清らかにならなければいけないという[ 専修賢善 ]のように、
極端に偏った捉え方も出てくるし、
臨終のときに一回だけでも念仏をとなえれば救われるのか?
それとも、出来る限り多くの念仏をとなえた方が救われるのか?
といった疑問も当たり前に出てきます。
極楽浄土への往生の条件が、ただ念仏をとなえることでしかないのであれば、
どのようにしてとなえるのが一番よいのかと考えるのは、
私たち普通一般の考え方では、当然のことだろうと思います。
これらの疑問に答えるものとして、
法然上人の門下生であった頃の若き日の親鸞聖人に、
こんなエピソードが伝えられています。
ある日、聖人は師の許可を得て、300人余りの同門たちに質問を投げかけられました。
自らがとなえた念仏の功徳によって、浄土へ往生できるのか?
それとも、阿弥陀仏から授かった信心によって、浄土へ往生できるのか?
みなさんはどちらが正しいと考えられますか?
この二つの選択肢から、ほとんどの弟子たちは「 念仏の功徳 」の方を選び、
聖人と数名の弟子だけが「 阿弥陀仏からの信心 」を選びました。
そうして、師である法然上人は、
信 心 正 因( 信心こそが浄土往生の直接要因 )である
と、聖人と同じ考えであることを、はっきりと示されました。
信心さえあれば、念仏の回数は関係なく、一回しかとなえられない人は一回でいいし、
何回もとなえられるのであれば、何回でもとなえればいい。
大切なのは、その( 心 )であり、回数にこだわるのは自分の考えにとらわれて、
最も大切な( 信心 )そのものをおろそかにする本末転倒なことであると、
法然上人は教えられます。
またもうひとつのエピソードには、
若き日の聖人が法然門下の兄弟弟子たちに向けて、
自分の信心も、師である法然上人の信心も、すこしも変わることなく同じである。
と発言されたといいます。
他の門弟たちはそれを、尊敬する師に対してとんでもない無礼だとたしなめられましたが、どちらが正しいのかを確かめようと、両者そろって法然上人にたずねられたところ、
自分の力で往生するのであれば、人によって信心の在り方も違うだろうが、
ただ一つの阿弥陀仏からいただく信心によって往生できるのだから、
親鸞の信心も、法然の信心も、まったく同じものである。
と師である法然上人は答えられたそうです。
前章にも記したように「 信 」の字の語源は、サンスクリット語の「 プラサーダ 」であり、それは、「 濁った心を浄化する 」「 心をしずめる 」「 清らかな心にならしめる 」といった、聖なる( はたらき )を意味する言葉です。
すなわち「 信心( プラサーダ )」とは、( 静かに澄み切った明るく軽やかな心境 )をいうのであり、それは仏から授かった「 真実( まこと )の心 」そのものです。
私たちのはからい心で、何かを強く信じ込もうとすることが「 信心 」ではありません。
お寺や神社や教団施設やパワースポットに出かけるばかりが「 信心 」ではありません。
商売繁盛や、家内安全や、無病息災を祈ることが、「 信心 」だとはいいきれません。
付和雷同に何かを盲信して疑わないことが「 信心 」であるとは、決していえません。
真実の( 信心 )とは、人間の自己存在を超越した、誰のものでもない、
生きとし生けるすべてのものたちのために開かれた、( 仏心 )そのものです。
仏の心を体感し、体得し、この身に体現するのが、( 信心 )です。
それは、有り難い( ご縁 )によって、この身にいただくものです。
それは、世にもまれなる仏縁によって、( 出遇う )ものなのです。
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