しかしながら、私たちの通常の感覚では「天上天下唯我独尊」という言葉が、どこか独善的で傲慢な言葉であるようにも聞こえるかもしれません。自我の執着を離れて悟りの境地に達したといわれるブッダが、なぜ殊更に「自分」のことを言ったのだろうとも思われるかもしれません。

しかしいま、仏教から何かを学ぼうとするならば、ブッダという存在を客体的に観察するというやり方ではなく、あくまでも主体的に、ブッダの身になって、その意味や心を読み取る必要があります。


ネイティブアメリカンの古くからの言い伝えに「この世には七つの方角がある」という言葉があると聞いたことがあります。七つの方角とは、東西南北の四つに天と地の二つを足しあわせた六つと、さらに七つ目の方角として、「自己の内面へと向かう方角」を合わせたものだということです。

私たちは、外へと向かう六つの方角を共有しながら、それぞれがそれぞれの心の内側へと向かう、ただひとつの方角を持っているというのです。この七つ目の方角こそ、誰と共有することも交換することもできない、自分だけの唯一の方角なのだというのです。

あらためて「天上天下唯我独尊」という言葉を、自分の胸に手を当てながら深く味わってみると、ブッダが私たち一人ひとりに直接向き合い、それぞれに直接語りかけ伝えようとする、さらなるメッセージがあるように、私には思えてきます。



空を見上げても、世界を見渡してみても、「私」という存在は、まさに「いまここ」にしかありません。自分を静かに見つめてみれば、かけがえのない私が、いまここに確かに在ることを知ることができます。基本はいつも「いまここにいる一人の私」なのです。

他人を羨ましがってみても、自分のことを嫌いに思ってみても、どうしようもなく私は私でしかありえません。こうしてこの世に命を与えられ、生きているかぎりは、自分の全存在をありのままに受け入れ、大切に思い、この命を最期まで全うしなければいけません。自分自身をよりよく生きていこうと、少しずつでも成長しながら、自分自身の人生を生き抜いていかなければいけません。

自分自身を尊いと思う気持ちがなければ、自分以外のものを尊く思うこともできないはずです。
自分自身の命を大切にできない人が、自分以外の命を大切にできることはないはずです。
まずは自分自身の命の尊さに気付くべきです。 まずはそこから始めるべきなのです。




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