いまここにいる私が、私を原点として、私の世界を展開しているのと同様に、無数の存在が、それぞれを原点として、それぞれの世界を展開しています。私の世界はいつも私を中心として展開しており、それぞれの世界は、それぞれにそれぞれ一つの中心を持って展開しています。

私たちが拠り所とするべき自分自身は、どうしようもなく自己中心的でしかないのも事実です。
なにごとにも自分の基準でものごとを判断せざるをえないのが、私たち人間存在です。
これは全ての人に共通の、人間の本質的な性質なのです。

基準は所詮自分の尺度でしかないはずなのに、その不安定で自己中心的な価値基準に自らが左右され、周りの環境や情報や状況にも左右され、ネガティヴにもポジティヴにも揺れ動いてしまう私たちです。

自分の基準で他と自らとを比べ、自信喪失し、劣等感に陥り、自己嫌悪してみたり。
そうかと思えば、自信過剰に、優越感を抱き、自己満足してみたり。

万人に共通の絶対的な価値基準など無く、ただあるのは人それぞれに異なる固有の価値基準でしかないはずなのに、自分の尺度だけにとらわれて、自分勝手に他者や社会のことを憶測する私たちです。


実際には、人それぞれのものごとに対する捉え方や考え方は様々に異なり、人それぞれの内なる世界は、どれ一つとして同じものがなく、多種多様です。

だからこそ自分を理解してもらいたかったり、他者を理解したかったりする私たちなのですが、自分の思うようにはなかなか理解しあえないのがほとんどで、私たちのコミュニケーションは、理解よりも誤解の方がほとんどのようにも思えます。

私の内なる世界を知るものが私以外にはないことを思うと、私という存在は常に「孤独」であるようにも思えてしまいます。誰とも完全には理解しあえないであろう私は、私の世界にただ一人いるようにも思えて、どうしようもなく切ない思いになってしまうこともあります。

唯一の確かな拠り所であるはずの自分自身が、どうしようもなく不安定に揺れ動いてしまうものであるという事実に、自分という存在があまりにもちっぽけなもののように思えてしまうこともあります。




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