慶集寺 由緒

木仏本尊(阿弥陀如来像)および 寺号は、
亨保三年(1718)九月十三日、本願寺より免許となっている。
当時の住職は「釈琳空」

しかし由緒によれば、東岩瀬の原村にいた「河上中務」という卿士が、
文明三年から七年(1471-1475)までの間に 福井県吉崎に本願寺を移していた
本願寺第八代門主・蓮如上人の門に入って、法名「釈善玄」を名乗り、
その後、第九代・実如上人(1458-1524)より 絵像本尊を受けたことを伝えている。

この絵像本尊は、善玄の没後、遺骨とともに遺族が東岩瀬に持ち帰り、
現在も慶集寺の開基仏として伝来されている。

これによって慶集寺寺史では、善玄を開基(初代)とし、
慶集寺創建者・琳空を 第二代目としている。


開基仏御裏書
開基仏 御裏書

方便法身尊像
大谷本願寺 釈実如(花押)
文亀二年壬戌三月廿八日
寺井 称仏寺門徒
加州石川郡
北島保鹿島村
願主 釈善玄

(※文亀二年 = 西暦1503年)

┃ 琳空山 慶集寺 ┃