私たち住職や坊守(住職の配偶者)など、お寺に住まいして、
お寺の仕事をする者は、「お寺さん」と呼ばれることがあります。
どの町やどの村にも当たり前にある「お寺」
お葬式や法事やお仏壇参りにやってくる「お寺さん」は、
なんとなくわかっていそうで、実のところ、
なんだかよくわからない存在だったりするのかもしれません。
「お寺って何だろう?」
まずはそこからあらためて、見直してみたいと思います。
◎ お寺は宗教法人です
慶集寺は「浄土真宗本願寺派(お西)」に属しながら独立してある「宗教法人」です。
お寺が法人であるということは、それが限定された個人によってあるものではなく、
それを支えるご門徒方によって、みんなで共有するものとしてあるということです。
慶集寺では、住職・坊守と門徒の代表者によって編成される「役員会」での合議によって
寺院運営に関する取り決めを行い、年度末には寺院会計の報告をいたします。
会計の閲覧をご希望のご門徒方には、個別に住職が応じさせていただき、
役員会での取り決めについてのご意見やご質問も、随時住職がお受けしております。
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[ 慶集寺 役員会 ]
代表役員: 河上 朋弘(住職) 責任役員:河上 みはる(坊守) 責任役員:浅岡 弘彦(門徒総代)
門信徒総代(監査): 赤川 治(門徒総代) 野口 久典(信徒総代)
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ご門徒方からお預かりしたお布施やご懇志は、すべて「法人会計の収入」となります。
そして、住職や坊守などの寺族(住職の家族)は、慶集寺から給与をいただいて、
法人施設である「庫裡(くり・寺族の居住施設)」に住みながら、
お寺の仕事をさせていただき、お寺で生活をしています。
寺院には、本堂や庫裡、墓地、庭、駐車場など、法人の所有する土地や建物がありますが、
これらは、いわゆる「お寺さん」のものではありません。
法人の構成員であるご門徒方の、みんなで共有する資産であり、
みんなが共同で維持していかなければいけないものなのです。
住職は「寺に住む職」、坊守は「坊(寺)を守る役」。
つまりは「ご門徒方の代表としてお寺に住んでいる管理人」なのだと考えると、
分かりやすいかもしれません。
お寺さんは税金を納めなくてもいい、と誤解されることもありますが、
それは、宗教法人が「社会的な非営利活動をする法人」であることを理由とした
法人税や固定資産税の免税に関することであって、
法人の団体職員である住職や坊守は
一般の個人として、住民税や所得税を、給与から納税しています。
宗教法人の目的が「宗教活動」であることはもちろんとして、
それが法人としての免税を受けているかぎりは、広く社会のために貢献しようする
「非営利活動」を目的としなければいけないということでもあります。
今一度「住職」という意味を調べてみると、
それは仏教用語である「住持職(じゅうじしょく)」を略した言葉あり、
住持とは「世間にあって仏法を保ち広めること」の意味のようです。
住職という役職は、仏教を学び伝え、それを社会で実践していくことがその任務であり、
お寺とは「世間にあって仏法を保ち広める場所」なのだと言えるでしょう。
現代社会において、お寺ならではの役割を果たしていくために、何ができるか、
何をするべきか、ご門徒方と共に考え、実践していきたいと思っております。
◎ 門徒の起源 - 檀家制度
さて、お寺はご門徒方によって支えられてあるものですが、
そもそも「門徒(もんと)」とは何なのでしょう?
これを知るには、江戸時代までさかのぼらなければいけません。
徳川幕府が民衆を統治していた時代、キリスト教などの幕府には認めてられていない宗教を排斥するための政策として「寺請制度(てらうけせいど)」とよばれる宗教統制の制度が定められたといいます。
キリシタンなどの幕府の認めない宗教信者ではないことを証明するには、仏教徒であることを明らかにしておく必要があったため、いずれかの寺院の「檀家(だんか)」となり、寺院が管理する「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」とよばれる台帳に、年齢や家族構成などを記帳することが、当時の人民には義務づけられていたということです。
後年になるとこの「寺請制度」は、家の信仰について調べるという目的よりも、現在でいう「戸籍管理」や「租税台帳」の役割を果たすようになったといわれます。「宗門人別改帳」の記載から漏れるということは幕府の認める人民ではないということになるので、「家」を構えるためには信仰の有無に関係なく、どこかの寺の檀家となる必要があったのでしょう。
(他宗では「檀家」といいますが、浄土真宗では「門徒」と称することが一般的です。)
江戸期から明治期に移ると、国の行政機関によって管理される「戸籍制度」が確立し、現在の私たちは各市町村ごとにまとめられている「住民基本台帳」に住民票を登録し、日本の国民であることを証明することができます。
また「日本国憲法」の第二十条には「信教の自由」が記されているように、現代の日本において、個人の信仰は基本的に自由であり、家の宗教や宗派、檀家、門徒についての法的な規定があるわけでもありません。
特定の宗教を信仰することも、またしないことも、現代の日本では個人の自由なのです。
◎ 家の宗教 家の宗派 家のお寺
日本人の多くの人々が「特別な信仰はなく無宗教です」といいながらも、
「なんとなく仏教徒かなあ」と感じ、
葬儀の際にはあまり意識することなく「家の宗派の仏教式で」となりがちなのは、
多くの人が「自分の信仰」には無関心でありながら、
無意識的に「家の宗教」を受け入れていることが多いからなのだと思われます。
寺請制度の時代から続く、寺と家との「門徒関係」は、
家のしきたりやならわしと同様に、現在にも慣習として引き継がれており、
家の葬儀や法要などの仏事をお勤めする際には、
代々ご縁のある「門徒寺」によって執り行われることが通例となっています。
代々家に伝わる仏事、そしてお墓やお仏壇は、
ご先祖様から継承されてきた「家」という最も身近なつながり、
家族や親類というご縁を取りまとめて結ぶ、
とても大切な機会であり「家の拠り所」となるものです。
門徒寺は、仏事を機会として「家の縁」を再び結び直し、
次世代へとつなげていく、重要な役割を担っているはずなのです。
しかしながら現代の日本社会において、家の在り方は大きく変容しており、
これまでの門徒はこれからも門徒、代々に渡って門徒はお寺を支えていくもの、
とは言えなくなってきていることも、受け止めなければいけない事実です。
かつてあった「三世代同居」が減る一方、「一人暮らし世帯」が大きく増えて、
少子高齢化が進むとともに、代々続いてきた家の継承が困難な状況となるケースが、
非常に多く見られるようになりました。
ここ数年で一般的になった「家族葬」や「直葬」「偲ぶ会」
そして、年々増加しているといわれる「無縁墓」、そして「放置墓」が、
現代における家の在り方の変容を、如実に現しているようにも思われます。
親子の同居が当たり前ではなく、相続の分配割合が法律で制定されている現代社会では、
長男や婿養子が喪主を務める場合ばかりではなく、
配偶者である妻や、娘、または娘の夫が喪主となる場合も多くみられるように、
長男や婿養子が家督を継ぎ、墓や家屋や財産をすべて相続して采配するような、
伝統的な「家」の在り方は、必ずしも一般的とは言えなくなってきています。
また、家族が各々に異なる宗教観や価値観を持つようになり、
これまでは当たり前とされていた家の宗教の継承が、
必ずしもそうであるとはいえなくなってもきています。
これまでの「家制度に基づく門徒制度」に支えられてあった伝統仏教の寺院は、
こうした社会基盤の大変動の機に応じて、
その在り方を見直していく必要性に迫られています。
ただこれまでの慣習を、形だけなぞるようにして引き継いでいるのにすぎなければ、
お寺やご葬儀やさまざまな仏事は、必要とされなくなっていくかもしれません。
旧来からある「しきたり」や「ならわし」によってしか伝えられないことも多くありますが、
その本来の大切な意義を押さえていなければ、それは次第に失われていくかもしれません。
今一度、お寺とご門徒の関係や、そこで執り行われる仏事の意義を、
改めて捉え直していくことを、慶集寺は呼びかけたいと思います。
◎ 学びと気づきとつながりのための仏教
亡くなられた方のために、ご先祖様のために、お勤めをして供養しなければいけないという気持ちが起きることは人間として自然なことですが、それよりも大切なことは、生きている私たち自身が手を合わせ、おかげさまで、いまここに在ることを、ありがたく感謝することです。
私たち自身が、人生の次なる段階を前向きに迎えていくためにも、これまでの生き方を振り返り、見つめ直し、最も身近な家族や親類とのご縁を深め、世間的な価値観から一時離れて、人間としての生き方を仏教に学ばせていただくことこそが、真に大切なことです。
ご葬儀やご法要、お墓参りや仏壇参りなどの仏事のすべては、
先立って亡くなられた方々やご先祖様方が、後に続く私たちに向けて与えてくださる
大切な「仏縁(仏教の教えを聞くご縁)」なのです。
そして、この大切なご縁をいただき、その責任ある仏事の執り行いを
ご門徒のご家族様より一任されているのが「門徒寺」なのです。
◎ 倶会一処のご縁 慶集寺門徒会
慶集寺の役員会では「慶集寺門徒会」というご門徒の会を設けて、
代々のお付き合いのあるご門徒や、これからの新しいご縁の方々に向けて、
入会のご案内をしております。
慶集寺門徒会にご入会いただくことで「慶集寺寺族」が、
ご門徒のご家族様と共に、大切なご縁を次世代へとつなげていけるよう、
責任を持って仏事を執り行わせていただきます。
また、家の後継者のいない場合や、単身者としての最期の課題がある場合にも、
最善と思われる助言や対応をさせていただき、
仏事に関するさまざまなご相談に応じていきたいと思います。
そしてまた、お墓への納骨や、寺院での預骨、先祖墓の処分、粉骨や共同墓への埋葬など、
ご遺骨に関する諸問題にも最善の解決策を施せるよう、共に取り組ませていただきます。
一人一人が本当に安心して生きていくために、
確かなご縁でつながっている新しい寺院の在り方を、
いまここから創り出していかなければいけないと感じています。
一期一会の出会いを大切にして、最期まで誠実にお付き合い出来るように、
ご縁の方との信頼関係を積み重ねていきたいと思っております。
ご縁に生かされて生きる、ひとりひとりの幸せと安心を、
未来に向けてつないでいけるお寺であるように、
心から願って、日々精進してまいります。
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