◎ 十 七 条 心 得 ◎




第一条

いろいろでひとつのこの世界です。
他者に対して寛容になり、調和的な在り方を理想とし、平和を最も大切なこととして、
むやみに対立したり、争ったりしないことを基本としましょう。

人にはそれぞれ自己中心的な我執の心があるので、
自分の立場に固執して物事を見たり、自分の都合で敵味方の区別を分けたりして、
全体のありさまや、事の成り行きを見通すことのできる人は、そう多くありません。

それだから、家族や、仕事の仲間や、近隣に生活する人々のような
一番身近な人間関係から、問題が起こりがちなのです。

しかしながら、自分から率先してみんなと和らぎ、睦まじく話し合いができるならば、
ことがらは自然と道理にかなって、何ごとも成し遂げられないことはないはずです。

一期一会の出会いのなかで、和となるようにつとめましょう。

- 十七条憲法・第一条 -

第二条

まごころをこめて「三宝」をうやまいなさい。

三宝とは、「仏(真実の体現)」「法(真実の教え)」「僧(真実の仲間)」をいいます。
そして「真実」とは、疑っても疑いようのない、「真理」と「真心」をいいます。

三宝こそが、生きとし生けるすべてのものにとっての「最後の拠り所」であり、
あらゆる国々の人々が共感をもって了解し得る「究極の規範」であるといえます。

どんな時代のどんな人も、仏によって説かれた教えを学び、社会生活の中でそれを理解し、
心から頷くことができるならば、その尊さと重要性を認めずにはいられないはずです。

人間の中に、罪悪感を一切感じることのないような人は、そういるものではありません。
仏教に説かれる「真実」を、自らの心に会得するならば、
どんなひとでも、かならず自然の道理に従い、よりよい人生を生き直せるはずです。

慶集寺にとっての三宝とは「南無阿弥陀仏」と「仏の教え」と「お寺の仲間」です。
七世代先の未来にまでも伝えられるように、これらの三宝を大切にして保ちましょう。


- 十七条憲法・第二条 -

第三条

共同体の合意によって決められたことは、かならずそれを守りましょう。

それぞれの人々には、それぞれの立場の役割があります。
それぞれが適切な役割にあってこそ、自然な流れの好循環が働き、
みんながよりよく発展できるのです。

もしもそこでの役割や手順が不適切なものであるならば、
その共同体は崩壊していくだけです。

そうした理由で、共同体で定められたことは、
重要な役職にあるものから率先して守るべきです。
そして、そこで定められた約束ごとを、各自がかならず守りましょう。

それを守らないようであれば、その共同体は自然と成り立たなくなってしまうでしょう。

- 十七条憲法・第三条 -

第四条

慶集寺に関わる人々は、感謝と尊敬の心を根本としなければいけません。
そもそも人間関係の根本は「ありがとう」「おかげさま」の心にあります。

慶集寺の運営に携わる者にその心がなければ、それに関わる人々の間にも差し障りが生じ、
寺院運営に問題を引き起す事にもなります。

また慶集寺に関わる人々の間においても、互いを敬い合う心に欠けているようであれば、
不都合なことも起きてしまうでしょう。

慶集寺を運営する立場の人々から、率先して感謝と尊敬を心がけるならば、
滞りなくその運営は執り行われるはずであり、
広く社会にその心が通じるならば、その共同体は自然と健全な在り方を保つはずです。

- 十七条憲法・第四条 -

第五条

人の欲にはきりが無く、満足を知ることはなかなかできないものです。

寺に住んでその仕事をする者は、生活を慎み、物欲を控え、
ご門徒方からの様々な依頼に応えるようにしなければいけません。

ご門徒方からの依頼や相談は、多岐に渡ってあるものです。
仏事に関することだけでなく、精神面や生活面などにも様々な問題があり、
それが無くなるということはありません。

けれども、世間のありさまを見渡すと、寺院の仕事をする人々の中にも
それを営利目的の商売かのように考えることを当たり前にして、
「布施(他者に施すこと)」の本来の意味を履違え、
社会に誤った認識を与えていることもあるようです。

そんなことだと、財産のある人からの相談や依頼は丁寧に受けたとしても、
生活にも困難な人からの相談や依頼は、おざなりにしてしまうこともあるようです。

そんなことがあると、さまざまな問題を現実に抱えている人々は、
寺院や僧侶や仏教に何を求めていいのか、さっぱりわからなくなってしまいます。
こんなことでは、社会における仏教徒の必要性が、疑われることにもなってしまいます。

自利利他(人のために尽くすことが、自分のための修行となること)につとめましょう。

- 十七条憲法・第五条 -

第六条

世間で言われるものごとの善悪は、その時代や社会の常識によるところが多く、
必ずしも固定的で絶対的なものであるとはいえませんが、
昔から教えられてきた「よいこと」そして「わるいこと」には、
古来より現在にまで伝えられてきただけの、経験則があります。

因果応報。 善因善果。 悪因悪果。 自業自得。
自分の為した行いに応じて起きるその報いは、「よいこと」も「わるいこと」も、
他でもない自分が受け入れることになるのです。

だからこそ、人が「よいこと」を為した思えば、これをかくさずに明らかにして評価し、
また、人が「わるいこと」を為したのを見れば、それをやめさせるようにして、
よい方向へと向けていかなければいけません。

心にもないお世辞や嘘偽りは、良好な人間関係に問題を起こし、
共同体の存続を危うくする「わるいこと」です。

また、他者の機嫌を取って気にいられようと媚びへつらうような者は、
二枚舌や悪口、陰口を言って、はばかることがなく、
人に「よいこと」を為して共に成長しようとする、思いやりの気持ちに欠けているようです。

これこそが、世の中に起きる混乱の、根本的な要因なのです。

- 十七条憲法・第六条 -

第七条

社会や共同体において、人にはそれぞれに果たすべき役割があります。
自分の役割に努め、他の役割を認め、混同しないようにしましょう。

適切な人格者が責任のある役職にあるときには、自然と評価の声が起こるけれども、
ふさわしくない人物がその役職にあるときには、問題や混乱がしばしば起こるものです。

事の大小にかかわらず、適任の人を得られたならば、かならず治まっていきます。
時代の流れが激しいときも、穏やかなときも、適切な人格者がその役割に就いているならば、
自然と豊かにのびのびと、健全な繁栄を成していくことでしょう。
そうできるならば、共同体は永久に発展し、その存続が危うくなることはありません。

だからこそ、古来からの優れた管理責任者は、必要な役職に適任者を当てるようにして、
誰か人がいるからといって、そのために役職を設けて与えるようなことはしなかったのです。

生まれながらにして聡明な人などそうはいないものです。
けれども、ここに説かれる十七条の心得をよく心に留め、それをつとめているならば、
聖者のようにも成り得ます。

自らの人生に与えられた役割を、みんなのために果たせるよう、精進しましょう。

- 十七条憲法・第七条 -

第八条

ひとそれぞれに一生の時間は限られています。
一年は三百六十五日。一日は二十四時間。一度限りの今です。

寺院の仕事に就く者は、限られた時間を無駄に過ごしてはいけません。
寺院に求められる仕事は、一日を通しても終えることのできないものです。

有意義な時間の使い方と、いまここにある一期一会の出会いを、大切にして生きましょう。

- 十七条憲法・第八条 -

第九条

何事にも、信心( まことのこころ )が大切です。
真心こそが、すべての大本であるからです。

何ごとを為すにあたっても、まごころをもってするべきなのです。
ものごとの動機となる心の在り方こそが、真の要となるからです。

善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、
かならず誠実であるかどうかにかかっているのです。

人々が互いに信頼し合い、心を通わせながら事にあたるならば、
どんなことでも成し遂げられないことはないはずです。

これに反して人々が誠実さを失ってしまうならば、
あらゆる事柄は結局のところ、失敗してしまうものなのです。


真実信心の教え( 南無阿弥陀仏 )を、よくよく聴聞しましょう。

- 十七条憲法・第九条 -

第十条

心の中の怒りをしずめ、表情に怒りをあらわさないようにして、
他人が自分に逆らったとしても、激怒しないようにしましょう。

人にはみなそれぞれの心があります。
そしてその心には、おのおのに執着するところがあります。

相手が正しいと考えることを、自分は間違っていると考え、
自分が正しいと考えることを、相手は間違いだと主張してくることは、よくあることです。

私がいつも賢いわけではないし、必ずしも相手が愚かなわけでもありません。

お互いただの人間なのです。

正しいこともあれば、間違っていることもあるのです。

お互いに賢くもあり、愚かでもあるのは、
丸い輪に始まりと終わりの端がないようなものです。

だからこそ、相手がどんなに怒っていても、それに対して感情的に返すのではなく、
自分に過失がなかったかどうかを、理性的に省みてみましょう。

また、どんなに自分の考えが正しいと思ったとしても、
なぜ多くの人々が自分と同様の考えではないのかを熟慮して、
協同のための方策をみんなで講じるようにしましょう。

- 十七条憲法・第十条 -

第十一条

自分のことはなかなか気づきにくいものです。
各々がそれぞれに長所を伸ばし、短所を改めることができるように、
互いに声を掛け合い、共に成長していきましょう。

- 十七条憲法・第十一条 -

第十二条

寺院の役職に就いている者は、公私混同して寺院の法人会計に当たってはいけません。

宗教法人である寺院の所有するものは、それに参加するすべての人々の共有財産であり、
そこでの会計は公開を原則として、社会的に公正でなければいけません。

寺の法務に就く者は、仏の教えにつとめて、それを伝えるためにこそ、
寺院における役割に伴う、生活のための給与と住まいが与えられているのです。

ご門徒方からのお布施やご懇志を、私利私欲で計るようなことがあってはいけません。

- 十七条憲法・第十二条 -

第十三条

それぞれの役割における仕事内容を、互いに把握しておきましょう。

病気になったり、急な用事ができたりして、普段の仕事ができなくなることもあります。
そんなときにもお互いにフォローし合えるよう、普段から備えておきましょう。

自分の都合ばかり優先して、協働を拒むようなことがあってはいけません。
効果的に連携して、滞りなく仕事を進めていくために、
報告と連絡と相談を心がけ、信頼し合えるコミュニケーションのもとに、協力しましょう。

- 十七条憲法・第十三条 -

第十四条

他者との関係のなかで、嫉妬心を持たないようにしましょう。

人間には、自尊心とともに、競争心があります。
他人が自分よりも優れていると思うときには、なかなかそれをよろこべないし、
自分よりも勝っていると感じるときには、羨み妬むことさえある、私たちです。

人を羨み妬んだりすると、相手もまた、それに反応した態度を返してきます。
そうして嫉妬の憂いは、際限のないものになってしまいます。

私たちはそれぞれに、優越感と劣等感の間を揺れ動きながら生きています。

比べようがないことを、自分の色眼鏡と不確かな物差しで、
偏見のままに比べている、私たちです。

人は人、自分は自分。それぞれの個性に応じた役割があるはずです。
人それぞれの能力は、互いに活かしあうことで、広く社会のためにもなるのです。

- 十七条憲法・第十四条 -

第十五条

身勝手なふるまいを慎んで、みんなのために進んで行動することが、
社会に生きる市民としての、理想的な在り方です。

大体にして、自分勝手な気持ちで物事に関わっていると、
周りの人から恨みや憎しみの心が起こってくるものです。

恨みや憎しみの気持ちが起こると、
心を一つにして行動を共にすることができなくなってしまいます。

心を一つにして行動できなくなってしまうと、私的な感情のために関係がぎこちなくなって、
みんなにとっての大事なことの差し障りにもなってしまいます。

恨みや憎しみの気持ちが起これば、みんなで決めた約束に反して、
道理に背くことも起きてしまうのです。

だからこそ、最初の第一条にも「 和となるようにつとめましょう 」と記したわけで、
その心は、いろいろでひとつの世界を、多様なままに調和的な社会を、
孫の孫そしてその孫の生きる未来、七世代先の未来にまで、念い願ってのことなのです。

- 十七条憲法・第十五条 -

第十六条

みんなで何かを計画し、それを行おうとするときにも、
それぞれの生活の糧となる仕事や、それぞれの家庭の事情に配慮して、
その時期や内容を決めていきましょう。

組織のために人がいるのではなく、人のために組織はあるのです。
一人一人の生活の安定があってこそ、共同体の安定や、社会の安定もあるのです。

- 十七条憲法・第十六条 -

第十七条

大事なことを独断で決めてしまってはいけません。
かならず多くの人々とともに論議するべきです。

それほどに重要ではない小さなことがらは、
かならずしも多くの人びとに相談する必要はないでしょう。
それぞれの役割に任せることも、組織的な協働の上では大切です。

けれども重大なことがらを決定するにあたっては、
万が一の間違いがあるのではないかと、疑ってみるべきなのです。

多くの人々とともに議論をし、是非の分別を究めてゆくならば、
そのことがらは自然と道理に叶うようになるはずです。

- 十七条憲法・第十七条 -



参考:岡野守也 著『 聖徳太子 十七条憲法を読む -日本の理想- 』(大法輪閣)
感謝 尊敬 合掌


◎ 和の未来へ 慶びの集うお寺でありますように ◎

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