第五条
人の欲にはきりが無く、満足を知ることはなかなかできないものです。
寺に住んでその仕事をする者は、生活を慎み、物欲を控え、
ご門徒方からの様々な依頼に応えるようにしなければいけません。
ご門徒方からの依頼や相談は、多岐に渡ってあるものです。
仏事に関することだけでなく、精神面や生活面などにも様々な問題があり、
それが無くなるということはありません。
けれども、世間のありさまを見渡すと、寺院の仕事をする人々の中にも
それを営利目的の商売かのように考えることを当たり前にして、
「布施(他者に施すこと)」の本来の意味を履違え、
社会に誤った認識を与えていることもあるようです。
そんなことだと、財産のある人からの相談や依頼は丁寧に受けたとしても、
生活にも困難な人からの相談や依頼は、おざなりにしてしまうこともあるようです。
そんなことがあると、さまざまな問題を現実に抱えている人々は、
寺院や僧侶や仏教に何を求めていいのか、さっぱりわからなくなってしまいます。
こんなことでは、社会における仏教徒の必要性が、疑われることにもなってしまいます。
自利利他(人のために尽くすことが、自分のための修行となること)につとめましょう。
- 十七条憲法・第五条 -
第六条
世間で言われるものごとの善悪は、その時代や社会の常識によるところが多く、
必ずしも固定的で絶対的なものであるとはいえませんが、
昔から教えられてきた「よいこと」そして「わるいこと」には、
古来より現在にまで伝えられてきただけの、経験則があります。
因果応報。 善因善果。 悪因悪果。 自業自得。
自分の為した行いに応じて起きるその報いは、「よいこと」も「わるいこと」も、
他でもない自分が受け入れることになるのです。
だからこそ、人が「よいこと」を為した思えば、これをかくさずに明らかにして評価し、
また、人が「わるいこと」を為したのを見れば、それをやめさせるようにして、
よい方向へと向けていかなければいけません。
心にもないお世辞や嘘偽りは、良好な人間関係に問題を起こし、
共同体の存続を危うくする「わるいこと」です。
また、他者の機嫌を取って気にいられようと媚びへつらうような者は、
二枚舌や悪口、陰口を言って、はばかることがなく、
人に「よいこと」を為して共に成長しようとする、思いやりの気持ちに欠けているようです。
これこそが、世の中に起きる混乱の、根本的な要因なのです。
- 十七条憲法・第六条 -
第七条
社会や共同体において、人にはそれぞれに果たすべき役割があります。
自分の役割に努め、他の役割を認め、混同しないようにしましょう。
適切な人格者が責任のある役職にあるときには、自然と評価の声が起こるけれども、
ふさわしくない人物がその役職にあるときには、問題や混乱がしばしば起こるものです。
事の大小にかかわらず、適任の人を得られたならば、かならず治まっていきます。
時代の流れが激しいときも、穏やかなときも、適切な人格者がその役割に就いているならば、
自然と豊かにのびのびと、健全な繁栄を成していくことでしょう。
そうできるならば、共同体は永久に発展し、その存続が危うくなることはありません。
だからこそ、古来からの優れた管理責任者は、必要な役職に適任者を当てるようにして、
誰か人がいるからといって、そのために役職を設けて与えるようなことはしなかったのです。
生まれながらにして聡明な人などそうはいないものです。
けれども、ここに説かれる十七条の心得をよく心に留め、それをつとめているならば、
聖者のようにも成り得ます。
自らの人生に与えられた役割を、みんなのために果たせるよう、精進しましょう。
- 十七条憲法・第七条 -
第八条
ひとそれぞれに一生の時間は限られています。
一年は三百六十五日。一日は二十四時間。一度限りの今です。
寺院の仕事に就く者は、限られた時間を無駄に過ごしてはいけません。
寺院に求められる仕事は、一日を通しても終えることのできないものです。
有意義な時間の使い方と、いまここにある一期一会の出会いを、大切にして生きましょう。
- 十七条憲法・第八条 -
第九条
何事にも、信心( まことのこころ )が大切です。
真心こそが、すべての大本であるからです。
何ごとを為すにあたっても、まごころをもってするべきなのです。
ものごとの動機となる心の在り方こそが、真の要となるからです。
善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、
かならず誠実であるかどうかにかかっているのです。
人々が互いに信頼し合い、心を通わせながら事にあたるならば、
どんなことでも成し遂げられないことはないはずです。
これに反して人々が誠実さを失ってしまうならば、
あらゆる事柄は結局のところ、失敗してしまうものなのです。
真実信心の教え( 南無阿弥陀仏 )を、よくよく聴聞しましょう。
- 十七条憲法・第九条 -
第十条
心の中の怒りをしずめ、表情に怒りをあらわさないようにして、
他人が自分に逆らったとしても、激怒しないようにしましょう。
人にはみなそれぞれの心があります。
そしてその心には、おのおのに執着するところがあります。
相手が正しいと考えることを、自分は間違っていると考え、
自分が正しいと考えることを、相手は間違いだと主張してくることは、よくあることです。
私がいつも賢いわけではないし、必ずしも相手が愚かなわけでもありません。
お互いただの人間なのです。
正しいこともあれば、間違っていることもあるのです。
お互いに賢くもあり、愚かでもあるのは、
丸い輪に始まりと終わりの端がないようなものです。
だからこそ、相手がどんなに怒っていても、それに対して感情的に返すのではなく、
自分に過失がなかったかどうかを、理性的に省みてみましょう。
また、どんなに自分の考えが正しいと思ったとしても、
なぜ多くの人々が自分と同様の考えではないのかを熟慮して、
協同のための方策をみんなで講じるようにしましょう。
- 十七条憲法・第十条 -
第十一条
自分のことはなかなか気づきにくいものです。
各々がそれぞれに長所を伸ばし、短所を改めることができるように、
互いに声を掛け合い、共に成長していきましょう。
- 十七条憲法・第十一条 -
第十二条
寺院の役職に就いている者は、公私混同して寺院の法人会計に当たってはいけません。
宗教法人である寺院の所有するものは、それに参加するすべての人々の共有財産であり、
そこでの会計は公開を原則として、社会的に公正でなければいけません。
寺の法務に就く者は、仏の教えにつとめて、それを伝えるためにこそ、
寺院における役割に伴う、生活のための給与と住まいが与えられているのです。
ご門徒方からのお布施やご懇志を、私利私欲で計るようなことがあってはいけません。
- 十七条憲法・第十二条 -
第十三条
それぞれの役割における仕事内容を、互いに把握しておきましょう。
病気になったり、急な用事ができたりして、普段の仕事ができなくなることもあります。
そんなときにもお互いにフォローし合えるよう、普段から備えておきましょう。
自分の都合ばかり優先して、協働を拒むようなことがあってはいけません。
効果的に連携して、滞りなく仕事を進めていくために、
報告と連絡と相談を心がけ、信頼し合えるコミュニケーションのもとに、協力しましょう。
- 十七条憲法・第十三条 -
第十四条
他者との関係のなかで、嫉妬心を持たないようにしましょう。
人間には、自尊心とともに、競争心があります。
他人が自分よりも優れていると思うときには、なかなかそれをよろこべないし、
自分よりも勝っていると感じるときには、羨み妬むことさえある、私たちです。
人を羨み妬んだりすると、相手もまた、それに反応した態度を返してきます。
そうして嫉妬の憂いは、際限のないものになってしまいます。
私たちはそれぞれに、優越感と劣等感の間を揺れ動きながら生きています。
比べようがないことを、自分の色眼鏡と不確かな物差しで、
偏見のままに比べている、私たちです。
人は人、自分は自分。それぞれの個性に応じた役割があるはずです。
人それぞれの能力は、互いに活かしあうことで、広く社会のためにもなるのです。
- 十七条憲法・第十四条 -
第十五条
身勝手なふるまいを慎んで、みんなのために進んで行動することが、
社会に生きる市民としての、理想的な在り方です。
大体にして、自分勝手な気持ちで物事に関わっていると、
周りの人から恨みや憎しみの心が起こってくるものです。
恨みや憎しみの気持ちが起こると、
心を一つにして行動を共にすることができなくなってしまいます。
心を一つにして行動できなくなってしまうと、私的な感情のために関係がぎこちなくなって、
みんなにとっての大事なことの差し障りにもなってしまいます。
恨みや憎しみの気持ちが起これば、みんなで決めた約束に反して、
道理に背くことも起きてしまうのです。
だからこそ、最初の第一条にも「 和となるようにつとめましょう 」と記したわけで、
その心は、いろいろでひとつの世界を、多様なままに調和的な社会を、
孫の孫そしてその孫の生きる未来、七世代先の未来にまで、念い願ってのことなのです。
- 十七条憲法・第十五条 -
第十六条
みんなで何かを計画し、それを行おうとするときにも、
それぞれの生活の糧となる仕事や、それぞれの家庭の事情に配慮して、
その時期や内容を決めていきましょう。
組織のために人がいるのではなく、人のために組織はあるのです。
一人一人の生活の安定があってこそ、共同体の安定や、社会の安定もあるのです。
- 十七条憲法・第十六条 -
第十七条
大事なことを独断で決めてしまってはいけません。
かならず多くの人々とともに論議するべきです。
それほどに重要ではない小さなことがらは、
かならずしも多くの人びとに相談する必要はないでしょう。
それぞれの役割に任せることも、組織的な協働の上では大切です。
けれども重大なことがらを決定するにあたっては、
万が一の間違いがあるのではないかと、疑ってみるべきなのです。
多くの人々とともに議論をし、是非の分別を究めてゆくならば、
そのことがらは自然と道理に叶うようになるはずです。