鈴木氏の論文には、

『日本書紀』によれば、冠位十二階は推古天皇十一年(603)十二月に制定、翌十二年元日に施行された。同年四月には、十七条憲法が制定されている。官人として登用されるべき個人に位階を授ける冠位十二階と、官人としてのあり方を定める十七条憲法は、相次いで制定・施行されていることからも、不可分の関係に置かれた一体の法として考えることができる。(中略)冠位十二階と密接に関係する十七条憲法にも、新たな合議制の理念が示されていたとみられる。(P118)

と記されています。

 ここにある鈴木氏の説に、筆者も深く同意いたします。これら二つの制度には相関関係があり、どちらも「合議制」を成立させるために制定、施行されたものだという説は、当小論でこれまでに進めてきた考察にも、付合するものだと思います。

 

 新しい時代を築き上げるためには、まずはそこでの形式の整備が必要とされたはずです。そしてその拠り所となる、揺るぎない理念を確立しておく必要があったはずです。

 太子は、仏教と儒教を殊更に分けることなく双方より学びを得ながら、古来より伝わる「和」の美徳に落とし込むというやり方で、国際的にも通じる理想的な共同体のあり方を構想され、その体系化を試みられたのではないでしょうか。

 

 鈴木氏はまた、

(第一条と第十七条の内容は)徒党を組んで、逆らうことなく、上下和睦して為政についての議論を成立させ、独断を排し、大事については「衆」議によって事を決するというものである。憲法は合議の規定ではじまり同様の規定で締めくくられるように、合議に関する内容が憲法の主要なテーマと考えられる。また、「然上和下睦。諧於論事」にみられる「諧」の字は、調和するという意であり、憲法の説く合議とは、上下が和して話し合い、意見を調和させること、すなわち意見を一致させることを目指すものであったとみられる。(P120)

と述べられています。

 第一条と第十七条に通じるのは「合議」を主要なテーマとするという点であり、それは、話し合いによってお互いの意見を交流し調和させることの重要性を、共同体における共通認識として説くものであったいうことに、筆者も深く同意いたします。

 

 そしてまた鈴木氏は、

(第九条の)「群臣共信・何事不成」と第一条の「何事不成」は同様の記述であり、合議について規定した第一条と第九条もまた、通じ合う内容をもつと想定される。(P122)

と指摘されています。

 当小論においては、〈徳〉の章の後段として解説した[第一条]にある何ごとも成しとげられないことはない」の一文が、〈智〉の章の前段[第九条]にも、まったく同じ「どんなことでも成しとげられないことはない」の一文として見られることに、筆者も同様の共通性を感じていました。

 当小論において十七条の解読法として採用している「陰陽輪環の順読」では、最後の条文にあたる[第一条]が、最初の条文である[第九条]につながり、改めて再度の循環的な読み解きに導かれるようで、大変興味深く感じられるところです。

 

 

[補稿]「陰陽輪環の順読」について >>>

頁. 1 2