第四条】もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼法が保たれていなければ、かならず罪を犯すようなことが起きる。したがってもろもろの官吏が礼を保っていれば、社会秩序は乱れないことになるし、またもろもろの人民が礼を保っていれば、国家はおのずからも治まるものである。 

 

 公務においては、礼法(ルール・マナー)に従い、秩序立った行動様式を取ることが求められます。社会の秩序を保ち、組織における人間関係をスムースにするためには、自分本位に振る舞うのではなく、礼儀や作法を重んじる必要があるということでしょう。

 堅苦しい規則や儀礼は面倒臭さを感じさせるものですが、社会の安全や安心や健康を守るための現場、例えば消防や警察や医療などの職場においては、個人の考えで、お気楽に自由に何でもやりたいようにしていいはずがありません。社会生活の根幹を担うような公務の現場においては、上下関係が明確に示されていないと、様々な不都合が起きてしまうものだと思います。

 公的な儀式の場においては、高位の役職に就く人から、上座や下座といった席次が必ず決められているものです。その場の流れで各々が自分の席を決めるようなやり方では、統制のとれた組織にはならないからです。公的に定められた席次によって、その人に与えられた役割や領分を明らかにすることで、秩序だった人間関係を可視化してみせることが、「冠位十二階」が制定された目的だったのではないでしょうか。

 

 推古朝は日本の歴史上、稀に見る仏教尊重の時代だったといわれています。そして、推古天皇の摂政として、蘇我馬子と共にその政治を補佐されたのが「聖徳太子」であるといわれています。

 律令制が整う奈良時代以降には、仏教は尊崇されるものの、宗教を国家の管理下に置く体制が整えられていたので、仏教が国家体制の精神的な礎であるとまでとは見なされていなかったようです。しかしながらそれ以前の飛鳥時代には、仏の教えとして説かれる「仏法」が、国づくりの基本として、何事にも増して重要視されていたといわれます。

 法隆寺や法興寺に見られる「法」の字や、史跡に遺された銘文にある「法皇」など、飛鳥時代における「法」の字は、現在に用いられるような「法律」というような意味ではなく、まさに「仏法」を示すものです。

 推古朝において仏法興隆の立役者となったのが「聖徳太子」です。太子が官人に向けて勧められた「礼法」とは、「仏法」に基づく礼儀作法だったに違いありません。

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