② 仏教の前提として-四苦八苦-

 

どんな人も、楽を求めて、苦は遠ざけておきたいものだと思います。

けれども、人生の悲しみや生きづらさは誰もが感じざるを得ないことであって、煩わしさや悩みを抱えながら、それでも生きていかなければいけないのだと思います。

 

親しい人を亡くすということは、誰もがいつかは経験しなければいけないことです。

そんなときには、悲しみの感情に限らず、様々な思いが押し寄せてくるものであって、人と人との関わり合いに、心を揺れ動かされざるを得ません。

けれども、それを「縁」として、仏教に出遇うということもあるのだと思います。

 

仏教とは、知識として覚えておけばいずれは何かの役に立つだろうというようなものではありません。クイズ王が即座に回答できるみたいに、ただ知識としてそれを記憶しておけば正解となるようなものではありません。

自分の身に引き寄せて、腹から納得して、腑に落ちて、心から肯く気持ちにならなければ、本当に仏教に出遇えたとは言えません。

 

楽しくて嬉しくて、気持ちよくて夢中になっているようなときに、人間とは何か? 人生とは何か? なんて考えることは、まずありません。苦しみや悩みを抱え込んでしまって、どうしようもなく辛くてやりきれなくなったときに、苦悩を「縁」として、はじめて仏教に出遇うのだと思います。

 

私はお寺の住職として、ご門徒方のご葬儀をお勤めさせていただきます。

ご遺族の方々にさまざまな思いが押し寄せるお通夜の席にあっては、どんな慰めの言葉も、気休めにさえならないように感じます。けれども、だからこそ、必ず仏教の入門となる教えを、お通夜をご縁としてお話しさせていただきます。

それは、お釈迦さまが説かれた最初の説法の前提となる教えです。

それを「四苦八苦」の教えといいます。

 

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