①いまなにをどう信じるか・因果と縁起

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◉善と悪について考えてみる

「善因善果・悪因悪果」という言い方をするときには、何を以て善とするか、何を以て悪とするかという判断基準が問われることとなります。

善悪の基準というものは、社会通念や一般常識によって世界に様々にあるものですし、それは時代によっても変化するものです。善悪の判断というものは、人それぞれに異なるものだと思います。安直に他者のことについて「善因善果だ」「悪因悪果だ」と判断するのは、自己中心的な思い込みがそこに含まれていないか、注意しなければいけないような気がします。

 

「善因”楽”果・悪因”苦”果」という言い方もあるようです。善いことをすれば楽になるし、悪いことをすれば苦しくなる、ということでしょうか。

苦楽ということであれば、これはあくまでも自分自身が主体的に感じることですから、こちらの方には自分次第に考えられる自由さがあるような気がしますね。

心が楽になったり楽しくなったりすることは、善いこと。心が苦しくなったり辛くなったりすることは、悪いこと。そんなふうに考えられそうです。

 

どんなことをすれば心が楽になるか。どんなことをすれば心が苦しくなるか。それを引き起こす行いや動機について、これまでの経験則から推察して、原因としての善悪と、結果としての苦楽を、予測することができるかもしれません。これまでにやってしまった失敗から、何かを学び取ることができるかもしれません。

苦しみを軽くして、そこから楽へと導かれるように、自分にとって何が善いのか悪いのかを、自分で手探りしていくのは得策です。

 

しかしながらまた、

 

心が楽になったり楽しくなったりすることは、自分にとって好ましいこと。だから自分の好ましいことは、善いこと。

心が苦しくなったり辛くなったりすることは、自分にとって嫌なこと。だから自分にとっての嫌なことは、悪いこと。

 

私たちはそんなふうにも考えることもあるようです。普通に、そう考えています。けれどもこのような考え方で物事の善悪を判断しようとすると、

 

自分の得になることは、善いこと。

自分の損になることは、悪いこと。

 

という考えにもなりかねませんし、

 

自分の味方は、善い人。

自分の敵は、悪い人。

 

のように考えてしまうかもしれません。

 

好き嫌いや、損得や、敵味方などで「善い・悪い」を判断しようとしても、それは自分基準でしかないのですから、みんなにとっての本当の判断基準とはいえません。

物事の善悪を思うのは自分次第で自由かもしれませんが、それがあまりにも身勝手なものであれば、それは多くの人にとって「悪いこと」とされるでしょう。

 

 

どうであれ、

 

物事の「善い・悪い」について考え始めると、本当に難しいです。個人的な「善悪観」を言うことはできても、普遍的な「善悪の法則性」のようなことを考え始めると、迷路に迷い込んでしまうような感じがします。

 

親鸞聖人が浄土真宗という仏教で取り組まれたのが、この「善悪の問題」なのです。

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