当時のインドでは、いまだ単一の君主国家が成立しておらず、
数カ国の大国が互いに覇権を争っている戦国時代でした。

大小さまざまな国が割拠するなかにあって、
小さな釈迦国は周囲の強大国に圧力をかけられながら、
いつも脅威にさらされているような状況にありました。

学問も武術も人より秀で、その人徳の優れていることを誰もが認めるシッダルタに、
自国の将来を任せるに相応しい後継者として成長してほしいと期待をかけるのは、
一国を背負う責任のある立場の父王であれば、当然のことかもしれません。

けれどもシッダルタは、成長におよんでその鋭敏な感受性と思索性を更に深めていき、
人の中に交わることよりも、静かな場所の樹の下で、瞑想する時間を好まれたようです。


シッダルタが青年となった頃のインドには、伝統的な権威主義の宗教である
「バラモン」の教えに批判的な多くの新興思想家が現れ、
司祭階級以外のカーストから、精神修養の実践のために出家した
「シャモン」と呼ばれる修行者たちが、社会に現れていました。

保守的な制度の中で、形式的な宗教儀式を取り仕切り、
自らの地位や利権に固執していたバラモンたちに対して、
シャモンの出家修行者たちは、カースト制度の枠外に身を置き、
一切の所有を放棄して、厳しい苦行や瞑想に励む生活を送っていました。

青年となり人生の問題に深く思い悩むようになったシッダルタは、
王位継承者としての将来よりも、そうした出家者としての生き方を、
次第に望むようになっていたようです。



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