心にはかたちがないので 目には見えにくいものです

けれどもそれは 人の顔の表情となって 見えたり

人の話す言葉や 音楽になって 聞こえたり

さまざまな芸術として表現されたり

感動的な瞬間として現れたり  握手のぬくもりとなったり

やさしい人がにぎってくれたおにぎりのような おいしい味にもなって

それは現れ たしかに心のあることを 私たちに気づかせてくれます

心があるから 生きていける

心に励まされ 元気づけられて 生かされている

私たちのみんなが 誰かに守られて 育てられてきたように 

私たちのみんなを 見守り育む( 心 )のあることを

気づいてほしいと みんなに願う( 南 無 阿 弥 陀 仏 )です

 

 

ご葬儀やご法要、お仏壇やお墓でのお参り、そしてお寺参り。亡くなられた方に対しての冥福を祈る「 追善供養・先祖供養 」として一般的には捉えられることの多い「 仏事 」ですが、代々のご先祖さまから今を生きる私たちへ、そして子や孫の世代へ、どんな時代になっても人として忘れてはいけない( 心 )を伝えるための「 法要( = 仏法の肝要 )」として、その意義を見直すことが、大切だと思います。

父として母として、祖父母として、子や孫に伝えたい( 心 )とは何か

人生を先に生きるものとして、後に続く世代に伝えたい( 心 )とは何か

誰もがそれぞれに感じているはずの( 心 )が 私たちに共通して与えられていることを、仏の教えは( 心 )を以って、私たちの( 心 )に伝えようとしてくれています。

幸せでありますように 平和でありますように いのちかがかせて 生きていてくれますように

真心からの願いの心( 親心 ) そして その心を確かに信じる心( 信心 ) 親子として、夫婦として、兄弟として、親類として、友人として、ご縁をいただき出会ったものたちが、互いに( 心 )を通わす、大切な機会が「 仏事 」です。

今一度、仏事の意義を見直し、仏事の「 かたち 」を見つめ直し、それが確かに( 心 )を伝える「 かたち 」であるように、今一度、現代における仏事のあり方を、捉え直してみたいと思います。

今ある「 かたち 」が、ただの「 形式・慣習 」にすぎないものになっているようであれば、固定的な「 かたち 」にこだわることなく、大切な( ご縁 )としての仏事のあり方を、今また( 心 )を込めて、創り直していく必要があるようにも思います。

二十一世紀は、私たちの子や孫が、これからを生きる時代です。

私たちにはたらく( 仏心 )のあることを、今を生きる私たちが、子や孫の世代へと、確かに伝えていかなければいけないと思うのです。

 

新年明けて4日目、有り難いご縁をいただき、

琳空館では始めての「初参式(しょさんしき)」が行われることとなりました。

初参式とは、赤ちゃんの生まれてはじめてのお寺参りをお祝いする儀式です。

みんなでカオルくんが元気ですくすく大きくなるようにと心に願い、お参りをしました。

みんなこうして願われて、育てられて大きくなったんだなあ、と思いました。

仏さまがいつでも見守ってくれてるから、大丈夫。

みんな、がんばれ、がんばれ。

安心して、がんばれ、がんばれ。