平成二十七年度 慶集寺報恩講と未来市民文化祭2015

11月8日(日曜日)岩瀬大町 慶集寺 本堂にて

平成二十七年度 慶 集 寺 報 恩 講

午後1時半より 慶集寺住職の導師による「正信偈」の読経
法要のあとは、青雲乘英 師(新湊市本江 光覚寺)による法話


新聞の書評で目にしてすぐにネット通販したら次の日にはポストに入っていた今年2015年新刊のタイトルは「失われる地方と宗教」という副題がなされた『寺院消滅』という本でした。

寺院に生まれて僧侶資格を持ちながら日経ビジネスの記者である著者の現代日本の仏教寺院についての最新ルポで、全国にあるコンビニの数をはるかに超える約7万7000カ寺ある寺院のうちのおよそ3割から4割が、近い将来に「消滅」する可能性があることを指摘する内容であり、その原因として、日本仏教界の歴史的背景(過去的要素)と、現代日本の社会構造の変化(現在・未来的要素)の二つがあることを、さまざまな見地から明らかにする内容でした。

寺院が消滅していく過去的要素として挙げられる日本仏教界の「負の歴史」は、これまであまり表立って語られることのなかったことであり、まずはこれらを知ることで、現代の寺院を再認識することができそうです。けれどもそれ以上に関心を引きつけられたのは、現在、そして未来的要素として挙げられる「社会構造の変化」に関してであり、これは仏教界だけに限らない、私たちのすべてに関わる「日本の現実」であって、信仰心や精神論だけではどうにもならない「時代の流れ」であることを、強く感じさせられる内容でした。

2014年に日本創生会議によって試算された「消滅可能性都市」とは、妊娠出産の可能性がある若年女性の減少や、都市部への人口流出などによって「消滅する可能性のある都市(市区町村)」を言います。そしてそれは、2040年には全国の自治体の49.8%にまで上るともいわれ、例えば秋田県では一つの村を除いたすべての自治体が「消滅可能性」の範疇に入り、青森県や島根県でも多くの自治体が将来「消えてなくなる」可能性があるということです。

この「消滅可能性都市」に所在する宗教法人は、全体の約35.6%にもなるとのこと。人が住まなくなった地域で寺や神社が存続できるかというと、かなり困難。実際に現在でも、住職のいない「空き寺」は全国で約2万カ寺にも上ると推定され、宗教法人の解散手続きをする「廃寺」は、年々増えていると言われます。寺や神社が担ってきた地域文化や宗教文化の継承は、否応もなく、途切れてしまうのかもしれません。

私が住職を務める寺院「慶集寺」のある町、富山県富山市の古い港町「東岩瀬」もまたその例外ではなく、高齢化、少子化、過疎化、都市や新興住宅地への人口流出、高齢者世帯の核家族化が、現在もなお進み続けている地域です。

暗澹たる気持ちにならざるをえないような、そんな2015年の状況のなかにあって、
今朝、私の目にとまった新聞記事は、ちょっとした「希望」を感じさせてくれるものでした。

MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボと朝日新聞の共催によって「Draw the Future ともに未来を描き、展望を語らう」というテーマで開かれた『未来メディア塾2015』についての記事には、同ラボの伊藤穣一所長による基調講演や、一般参加者も交えての議論についての要旨が書かれていて、その中で伊藤氏は、

「人工知能と関係する話だが、米国では将来、仕事は全てロボットに持って行かれると心配する人が多い。でも、ぼくは人間っぽい仕事は、逆に増えると思う。ただ、教育システムは変えなくてはならない。我々は産業革命後、工場で働く、とてもきっちりとしたロボットのような人間を育ててきた。今後は、ロボットのような人間は、ロボットに置き換えられてしまう。好奇心旺盛な人や、人間くさい人のほうがロボットとうまくやっていける。人間をいかにもっと人間っぽくするかが、これからの教育のあり方ではないか。」

と語られています。

そして「2035年、人間の仕事として残りそうな職業は何か?」をテーマとした議論のなかで参加者の支持を最も集めた職業が、「 お坊さん 」だったそうなのです。

その理由としてそこに挙げられていたのは、

● 効率性や合理性というロボットが得意とする分野の対極にある。

● 地域性や文化とも関わって、世代を超えた記憶を継承する存在。

●「神・仏・天」などは、そもそも代替できないもの。

● 生死を体験することのないロボットに、生死を説諭されても説得力がない。 など。

そのとおりだと、思わず声を出してうなずいた私でした。

原子力発電の再稼働。平和憲法の改定。消費税増税。所得格差。マイナンバー制度。。。
様々なことが現象として起き始めてきている今年、2015年。

どんな時代になろうが、どんな状況になろうが、人間として生まれた限りは、
自分の生まれ育った環境や背景を大切にして、自分が出来ることに精一杯取り組んで、
自分に与えられた役割をつとめなければいけないと思います。

空前の社会不安のなかにあった鎌倉時代に、親鸞聖人が市井の民に向けて説かれた称名念仏の教えを、読経しやすい「 偈(うた)」にしてまとめられた『 正信偈 』。
そして、私の故郷・東岩瀬に古くから唄い継がれる民謡『 岩瀬まだら 』。

先人たちの心からの願いの声を聞くようにして、心を込めて、歌い継ごうと思います。

コンピュータにマニュピュレイトしたボーカロイドの声が、
どんなに上手にそれを歌えたとしても、
生きている人間がおもいを込めて歌う声は、空気の震え方が違うはずです。

無力感に打ちひしがれて、めげたり、しょげたり、へこんだりする時があっても、
人間らしく、自分の立ち位置から、心震わせて、声を振り絞っていこうと思います。

今年2015年の未来市民文化祭のテーマは「 うたいつごうたみのうた 」

私、慶集寺住職は「報恩講」の法要儀式で『 正信偈 』の導師を務め、
その後の「未来市民文化祭2015」で『 岩瀬まだら 』を唄わせていただきます。

民のために編まれた念仏の偈(うた)を、地域に伝えられてきた民の謡(たみのうた)を、
七世代先の未来にまで伝わるように、声続く限り響かせていこう。
そう誓う、2015年の未来市民です。