今年2020年の2月4日が、父である前住職の七回忌の命日になります。

僧侶として、導師としてではなく、喪主として勤めたはじめてのお葬式から、6年の月日が経ったということです。

この6年間は、私にとってもパートナーである坊守にとっても、かなり大きな試練の時期だったことが思い返されます。

父が亡くなる10年前から、住職の役は私が引き継いでいたのですが、実際に前住職が亡くなったことで、グッとその役割の責任の重さを感じるようになりました。

 

お寺は宗教法人であって、公益的な宗教活動を営む法人です。いわゆる営利事業を行う法人ではありません。

一般の営利法人は、対外的な経済活動によって利潤を得ることを目的として存在します。つまりは「儲ける」ということが目的であって、それが事業の動機付けとなるわけです。

では宗教法人としてのお寺の目的は何かというと、それはやはり「続ける」ということなのだと、私は思っています。

どんな時代にも、社会のなかに存在し続けて、仏教を保ち続けていること。在り続けていること。それこそが、大事なことだと思うのです。

 

約500年の伝説的歴史が語り継がれ、300年間18代に渡って受け継がれてきたお寺である慶集寺を、次世代に伝えることができるか、どうか。

前住職が亡くなったことで、その重責をズシリと背中に、背負ってしまった気がしました。

慶集寺の境内地には、古民家を移築して建設された築100年以上にもなる小さな古い御堂があって、その脇には江戸時代の墓石も残されている未区画の墓地があります。

大きな地震でもあったら間違い無く倒壊してしまうほどに老朽化した木造建築物。何年もお参りがないままの無縁墓。年々荒れていく墓地。。。

これらをそのままにしておいては、後になって手の施しようが無くなってしまいます。私の代まではどうにか持ち堪えたとしても、次の世代にとっては、「負の遺産」になってしまいます。

負担にもなる遺産を喜んで引き受けようという人は、なかなかいないでしょう。つまりは、後継者がいなくなるということです。

 

お寺を継ぐということは、お寺で生活するということです。お寺で生活するには、その生活を保つための費用が必要です。

お寺を、人が集まるための「場所」として、その「土地・建物」を活用することで、それを「資産」としていかなければいけません。

これからは「負の遺産」にもなり得るものを、未来の「資産」に転じることが、現住職である私の、大命題なのです。

これを手遅れなものになってしまっては、いけません。

いまこそが、そのときなのです。

 

そうして、慶集寺の創建300周年にあたる2018年を契機とする、寺院再生事業計画が始まりました。

これまでにお付き合いのある門信徒の皆様方との関係を改めて整理して、「慶集寺門徒会」とその役員会を組織して、事業計画を進めていきました。

建物の解体や墓地の整備、修復・新築の建設工事などには、多額の費用が必要となります。これを工面するには、予算立てをして事業計画を立案して、ご縁の方々にご協力のお願いをしなければいけませんでした。お金の課題はシビアです。無駄遣いはできません。

工事の進行だって、一筋縄ではいきません。想定外の連続です。段取りして、調整して、判断するのが、住職としての私の役割です。

やりがいのある仕事でしたが、心労もその分おおかったのは、正直なところです。

思い煩い悩まされるようなことが、次から次へと起きるのです。

どうにか無事に事業計画にひと段落をつけられた今だから言えることですが、前住職が亡くなってからのさまざまな試練のなかで、一番大変だったのは「母親との関係」でした。

これについてのあれこれを思い返すと、今でもキツイ気持ちになってしまいます。

 

 

数年前に流行った「断捨離(だんしゃり)」という言葉があります。

不要なものを意識的に減らしていこうとする生活術をさして、いまでは一般的に使われている現代用語です。

もともとは日本のヨガの行者が提唱した思想だったそうで、凝り固まってしまった心の状態を「断ち・捨て・離れ」ようという考え方なのだそうです。

 

いままず、私がするべきことは「お寺の断捨離」でした。

 

形骸化するばかりの慣習をって

朽ちていくしかない物はて去り

発展性のない固定観念かられる

 

いまから「お寺の断捨離」を実行していかないと、慶集寺の未来は無いのだと、再生事業に取り組む覚悟を決めたのでした。

まずは意を決して、母以外には誰も入ることのない、お寺の土蔵に踏み入ることに、向き合います。とりあえずは、そこに手を着けなければ、計画は一歩も、前に進まないのです。

 

そうして踏み入れた、時間が止まっているかのような蔵の中の、裸電球ひとつぶらさがった薄暗い空間に、所狭しと積み上げてあった箱たちの中身は。。。

毛布・タオルケット、皿・コップ・徳利とお猪口のセット、金色の置き時計、応接喫煙セット、鍋やかん!? 昭和の時代にご法要でいただいた引出物と思われる、高度成長期感満載の品々。

一生使われることはないだろうと思われる、座布団、火鉢、風呂敷、など多数!

ほこりのかぶったこれらの物たちの、何からどうして手をつけていけばいいのか!?

母言わく「何でも処分してしまえばいいものじゃない!」

いやいや、これはもう絶対に使うことないでしょう。っていうか、

もう使えなくなってるでしょう!

 

県外に住む二人の姉にも協力してもらって母親のメンタルケア。

どうにかみんなで手分けして整理して、どうにか処分。

片付けなければいけない場所や物はそこだけではありません。

数々の開かずの扉をクリアしていかなければ、事業計画のスタート地点にも立てないのです。

 

 

前住職である父と前坊守である母が、一緒になって長年のあいだ護ってきた慶集寺です。

倒壊寸前の御堂にも、コンクリートの舗装がひび割れた墓地にも、そこにあった一つ一つの物たちにも、強い強い思い入れがあることが、痛いほどわかるつもりです。

このお寺に生まれ育って、十数年間そこで僧侶として勤めてきた私にだって、思い出や、愛着や、大切にしていることは、もちろん山程あります。

けれども、長年の連れ合いを亡くしてしまった母にとって、共に過ごしたその場所が失われてしまうことは、受け入れがたいことだったのでしょう。

母にとっては、これまでの人生の「生きた証し」そのものだったのだと思います。

それは息子としても、重々に分かっているつもりです。

 

けれども、80代の反抗期。それはもう、理由なき反抗。

若い頃にしてきた親不孝の報いかと、バチが当たっているんだと、因果応報なんだと、受け止めるしかありませんでした。

大人としての、親としての、住職としての立場を分かって欲しくても、理屈じゃないのでしょう。そんなの関係ないのでしょう。

何かに取り憑かれたかのような険しい表情で口を噤み、目は一点を見つめて、聞く耳持たず。

説得しようしても、それを理解させて納得してもらうというまでには、到底いかない状態でした。

理性的になって分かりあおうとすることにも限界があって、感情のままに思いをぶつけあってしまうことも多々あったことは、いまも心にわだかまる、辛い記憶です。

自暴自棄なやけっぱち状態にまでなってしまった母を、姉たちと話し合って三泊四日の旅行へ連れ出してもらっている間に、

御堂の解体を、決行しました。

 

 

旅行から帰ってきて、これまでは古い御堂があった、がらんとした空き地に立った母親は、意外とあっさりと、その現実を受け入れているようでした。

その心中は分かりませんが、姉たちとの旅行が楽しかったと、話していました。

私の方はどうかというと、これまた意外なほどに、失われたものへの感傷に浸るというよりも、清清したような、さっぱりすっきりとした気持ちになっていました。

 

母と私の関係性が、それからは好転して超良好になった、とはいえませんが、以前にくらべれば、少しはお互い気持ちを楽にして付き合えるようになった気がします。

もう身に着けることのない着物が入ったタンスや、昔は趣味にしていた沢山の茶道具など、自分のプライベートなものたちに関しては、「私の目の黒いうちはこのままにしておく」といって頑張っていますが、まあそれは、それでいいのだと思います。

あんまり頑張りすぎず、お寺のことはもう任せて、自分のことを楽しんでくれといっているのですが、いつまでたっても子供は子供のままだと思っているのでしょう。

負けん気が強くて、いつも頑張っていなければ気のすまない性格は、母の目の黒いうちは変わらないのかもしれません。

そうして元気で長生きしてくれるのなら、それはお互いにとって幸せなことだと、思わなければいけないのでしょう。

日々少しずつ、お互いに年を重ねて、日々少しずつだけれども、関係性は変わってきているような気もします。

変わらざるを得ないのでしょう。変化を受け入れて生きるしかないのでしょう。

諦めの境地ということもあるのでしょう。

 

 

人生の終わりのための活動、というけれども、自分が死んでしまえば、その後のことについては、自分が見れるわけでも、知れるわけでも、どうできるわけでもありません。

さまざまな功績を成したり、財産を蓄えたりした人であっても、それらはすべて死をもって、手放していかなければいけないものです。

いやでも断捨離しなければいけないときが、いずれはやってくるのです。

 

けれどもまた、私たちはすべてを断捨離して、何もかも完全に「無」にして死ぬこともできません。必ず何かを遺してしまいます。

それは財産だったり、名義だったり、日常品だったり、作品だったり、焼骨だったりするわけですが、誰かにそれを託して逝かなければいけないのです。

 

必ず何かを遺して逝かざるを得ないのですから、いわゆる「終活」というのは、自分の人生の終わりに向けて日々少しずつ、自分のことを整理しておくことなのかもしれません。

自分の人生を雑然としたままにしておくのではなく、自分でなるべく整理して、後を任せておける人との関係性を、しっかりと築いておくことなのかもしれません。

 

お寺の断捨離をひとまず終えることができた今、

慶集寺の未来に向けて何を遺していけるのかを、

自分なりによく考えながら、

生きていこうと思っています。

 

 

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