老いること、病いになること、死ぬこと、そして、いま生きているということ。
生老病死という現実は、全てのひとに共通する、全てのひとに等しく与えられた人生の真実です。
生きていて当然のようにして生きている「いまここにいる自分」は、実際には常に不安定に揺れ動いていて、絶対に確かなものだとはいえません。生老病死の現実を直視したならば、「当たり前」だと思っている自分自身の存在は、本当は「有り難い(そう有るのが難しい)」存在なのだと思わざるを得ません。

いまここにいる自分を本当に「ありがたい」と実感できたならば、これまでとは質の異なる喜びが、自分の人生に立ち現れてくるかもしれません。

苦しみこそが「あたりまえ」なのだと実感できたならば、どれだけ困難の多い人生であっても、それを乗り越えていけるだけの力強さが人生に立ち現れてくるかもしれません。

歩ける。 食べれる。 話せる。
本当はそれだけでも充分に有り難いと思わなければいけないはずなのです。
毎日を感謝の気持ちで過ごせていけたなら、それだけでも充分に幸せに生きていけるはずなのです。
そうは思っても、なかなかそうはできないのが、私たちなのです。

ないものねだりで不満ばかりだったり、ただなんとなく漠然と日々を過ごしたり、不安をごまかしながらどうにか何かに癒されて暮らしたり、社会の現実に直面するのを恐れてひきこもったり、世間的な価値観に合わせて自分を「普通」なのだと思い込んでみたり。

そんな私たちこそ、人生の真実をありのままに直視し、それに立ち向かい、力強く一歩外へと踏み出していったシッダルタの「生きる勇気」を、いま見習わなければいけないのだと、私は思うのです。




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